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「才能」(23)

前回に続き、スティーヴン・キング著 『死の舞踏(安野玲・訳 福武書店)』から 引用します(太字はk.y.)。

...ここでぜひとも突きつめておかなくてはならないことはただひとつ、作家に向かって「どうしてそういうテーマで書くのか」と問うことがなぜ無意味なのか、という問題である。薔薇に向かって「あなたはなぜ赤いんですか」とたずねようとはだれも思うまい。才能というものは、ある日曜日の午後、食後に伯父が芝生の下に探りあてた水のように、つねにあるべきところにあるものなのだ。ただし、水というよりは大きな鉱石のかたまりというほうが近いかもしれない。才能は磨き上げる ― あるいは、最前からのたとえのように研ぎすますといってもいい ― ことができるし、活用の方法となれば、それこそ枚挙にいとまがないほどだ。研ぎすましたり活用したりするのに、それほど複雑な技能は要求されない。駆け出しの作家にだって簡単にできる。能の研磨とは、ようするにワークアウトなのだ。かりにこのワークアウトを毎日15分ずつ10年間続けたとする。10年後には理想的にひきしまった体になっていることだろう。机に向かって書くという作業を毎日1時間半ずつ10年間続けてみたらどうか。10年後にはすばらしい作家がひとり誕生していることは請合ってもいい。

   *とはいえ、やはりひと言つけくわえておくべきだろうが、何事も才能がなければ始まらないという面があるのはいたしかたない。何の種も播かれていない大地を10年間耕しつづけることは可能だが、それだけでは10年たっても元の木阿弥、土がきめ細かくなるだけのこと。ちなみに、私は14の年にギターを弾きはじめて、16の年にはその名もムーンスピナーズというグループでリズム・ギターを担当し、<ルイ・ケイ>や<リトル・デュース・クーペ>をひととおりこなしていた。そして、当年とって33を迎えた今、そのころからほとんど進歩が見られない。おかげさまで落ち込んだときの景気づけ程度には弾けるものの、まだまだエリック・クラプトンを脅かすところまではいかない ― と思う。

続く...

k.y.談 : 今回はちょっと疑問を呈したい。「何の種も播かれていない大地を10年間耕しつづける」ことが実際あるのだろうか?と私は思う。いかに意欲的であろうと何の実りもない大地を10年間耕すのは不可能ではなかろうか? 進化論の「自然選択説」ではないが1年もすればあるいはかなり遅くても数年で才能のない人たちは去っていくと思う。第一楽しくないと思う。自分がそれに向いてないことはやっぱり分かってくるはずだ。いくらやっても楽しくないからだ。不運なサラリーマンなどは別にしてすこしも成果の出ないことをつまりまったく楽しくないことを延々と10年間続けられる人はいない。スティーヴン・キングの場合、ギターについても多少の適性(向き)はあるのだと思う。そして、才能はなくても多少の「向き」さえあれば、オリンピック出場は夢のまた夢であるが、県大会で入賞できる程度に秀でることは可能だと思う。

さて、スティーヴン・キングのギターの腕は実はどうなのでしょう

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