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語彙と思考(3)続

ヨーロッパのルネサンスと言えば古代ギリシャ・ローマの文芸復興のことですから、当然のことながら、古代言語の復興という側面もあります。

塩野七生さんは、その著 『ルネサンスとは何であったのか』 という本のなかで、「ルネサンス人は、人間の肉体の美を再発見しただけでなく、人間の言語も再発見したのです(太字k.y.)」と述べて、次のように書いています(太字k.y.)。

(引用再開)

 言語には、他者への伝達の手段としてだけではなく、言語を使って表現していく過程で自然に生れる、自分自身の思考を明快にするという働きもある。明晰で論理的に話し書けるようになれば、頭脳のほうも明晰に論理的になるのですのです。つまり、思考と表現は、同一線上にあってしかも相互に働きかける関係にあるということ。また、流れがこのように変われば、自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書く魅力に目覚めるのも当然の帰結です。神を通して見、神の意に沿って考え、聖書の言葉で話し書いていた中世を思い起こせば、ルネサンスとは「人間の発見」であったとするブルクハルトの考察は正しい。しかも、言語が人間のものになれば、人間だからこそ感ずる微妙な感情の表現にも出場の機会が訪れる。そして、思考も感性も言語も聖職者の独占を脱したからには、それをなるべく多くの同胞に行き渡らせたいと願うのも当然です。こうして、ラテン語の方言の一つにすぎなかったイタリア語は、民族の言語に成長していったのです。

(引用中断)

k.y.談: 今回はいろいろ脱線します。

中世のラテン語~英訳聖書~リンカーンの演説~現代の英語 

中世に、聖書はラテン語で書かれていて、聖職者がラテン語を独占していた。だから、一般の人々は聖書を読むこともできず、ただ聖職者(=教会)の言うことを信じるしかなかった。強大な力を持った聖職者は必然的に腐敗し、それを批判する機運も高まっていた。そんな事情の下、ジョン・ウィクリフは、「一般の人々は自分で聖書を読んで信仰の拠り所とすべきだし、そのためにはラテン語聖書を民衆の言葉である英語に翻訳しなければならない」と考えて聖書の英訳に着手、教会政治も 「人民の、人民による、人民のための政治」が本来のありかただとしてその文言を英訳聖書の冒頭に書き入れた。

したがって、ウィクリフは「人民政治=人民政治をすること」を意図していたのであって、「人民支配すること」を意図していたのでは断じてない。

リンカーンは、このウィクリフの言葉を間接的に受け継いでゲティスバーグの演説を行った。

このことからも、「government of the people, by the people, for the people」の正しい訳が「人民の、人民による、人民のための政治」であって「人民を、人民が、人民のために支配すること」ではないことが分かる。

さて、今、世界で最も影響力のある言語は英語です。その意味では、英語は中世のラテン語の役割を担っています。グローバリゼーションは言語の面から見れば英語の強大化と言えます。

世界が、government of the English-speaking people, by the English-speaking people, for the English-speaking people になってしまう可能性があります。いや、なりつつあるかもしれません。特に、ビジネス手法やそれに関連する国際的な法制度の分野では顕著な傾向です。

生半可な英語の理解では、読めない聖書を前にした中世ヨーロッパの民衆のような立場になりかねません。

「アンチ・バベルの塔」建設の背後には、そんな意識もあります。

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