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斉藤秀三郎という現象(その2)

前回の引用した文章の中に ― 日本公演中のシェークスピア劇団の俳優の発音が間違っているのを見て「お前らの英語はなっちゃいねぇ!」と英語で野次を飛ばしたという逸話がある ― という件(くだり)があります。

この逸話に対して、マーク・ピーターセンさんが自著の 『英語の壁(文芸春秋)』 で反応しています。なかなかおもしろいコメントなので、やや脱線してしまいますが、引用しておきます。

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(引用開始)

 「てめえたちの英語は・・・」

 これまで、日本のラジオやテレビに出演する機会が何度かあったのだが、毎回酸欠状態になるくらい上がってしまったため、普段なら話せるはずのごく簡単なレベルの日本語でも、どうしても口からスムーズに出ず、出演は結局どれも失敗に終わった。やはり、自分は性格的にそういった仕事には向いていない、と割り切ってあきらめるしかなかった。まあ、とくに憧れている世界でもなく、たとえその後、格好悪く放送された自分を恥ずかしくは思っても、「俺はダメな男だ」などと深刻に落ち込まずに済んだ。ただ、もし日本語ではなく英語であれば、きっと上がったにせよ、だいぶ話せただろうに、というようないささか悔しい気持ちは確かに残った。

 こんな話を思い出したきっかけになったのは、先日見たニュース番組での短いインタビューである日本人と結婚していて、滞日20年に及ぶアメリカ人の女性がレポーターに「住んでいる家はあるから、できる仕事はたくさんです」という、言いたいことがつかみにくい日本語でコメントしていた。それを観て彼女は私と同じようにちょっと悔しい思いをしたのだろう、と想像した。外国語のことだから、悔しがってもしょうがないのだが、人間ならたいていそのくらいの感情は覚えるものだろう。

 似たような問題だが、アメリカの大学院で日本文学を勉強していた頃、院生同士のライバル意識を強く感じた。たとえば、自分の喋った日本語の誤りや、読んでいる日本語の文章の意味に対する勘違いなどをみんなの前で先生に指摘されると、誰もが、まるで人間性を傷つけられたような気持ちになり、ひどい場合、自分の”尊厳”を無理にでも守ろうとして、先生の指摘のほうが間違っていて自分は正しい、というような愚かな反論まで持ち出さずにはいられないほど感情的になってしまうこともあった。

(引用中断)

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 英語を学習している私も、日本語を学習しているマークさんが経験したのと同じようなことを、経験してきました。「誰でも同じような場面で同じような感情を抱くものだなあ」と思いました。しかし、間違いを悔しく感じたり自分の尊厳を無理にでも守ろうとする人のほうがよく勉強するし力がつくことも事実でしょう。顔から火が出るような恥ずかしい思いやなんとも惨めな悪あがきをしながらしかも続けられる人のほうが可能性は大きい。

斉藤秀三郎も実はそんな人だったのではないか。ただし、常人とは目指すレヴェルが二桁も三桁も違っていた。あるいは、ひょっとしたら、恥をかいたり悪あがきをする間もないほど勉強していたのかもしれません。

続く...

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