« 学習時間をもっと意識しよう(2) | Main | ただいま部屋の大整理中 »

コメントにお答えする(5/2006)

Pcj さん、はじめましてk.y. です。

このたびはたいへんねんごろなコメントを寄せていただきありがとうございました。

理科系の方にとって、英語が、好き嫌いを問わず必要であることはある程度存じていました。

私が英会話学校に勤務していたころも大学の教員・研究者の方が時々受講されていてしかも例外なく熱心に勉強されていたことを覚えています。海外の学会に出席されたときにいただいたお土産の品が私の部屋のオブジェになっていたりします。1部の方とは今も交流があります。

だから、論文を読み書きしたり研究の成果をプレゼンしたりする際に英語があたりまえに必要であることは知っていました。

しかし、若山さんが指摘されるほど英語が切実であるとは思っていませんでした。英語の科学に閉めるウェイトの大きさにちょっと驚いています。

そして、「英語ができないと科学の研究者にはなれない」ということは明らかに理不尽だと思う一方で、かくも大きな英語の重要性を考慮すると、それも現実にはやむを得ないことなのかなあと感じるようになりました。

今回、Pcj さんのお話をうかがって、ますますその感を強くしています。

> ある高名な研究者は「自然科学は英語を学ぶことから始まる」とまで言ったそうです。

こんなことをお聞きすると、日本が鎖国をやめて富国強兵策に転じた明治初期から、日本が科学を学んだのは主として英独語などの外国語を通じてであったことを思い出します。帝国大学を創立して科学・工学の本格的な教育を開始したとき、学生を教育したのはお雇いの外国人で、用いられた言語はもちろん外国語で、中でも英語が重用されるようになったことは周知の事実です。

だから、日本の科学・工学は、実は、外国語(なかんずく英語)の翻訳であったと言っても過言ではないないでしょう。

先人たちが科学・工学をしっかり日本語に移植して日本語による科学・工学の高等教育を可能にした功績は、他のアジア諸国の大学教育が未だに英語に依存せざるを得ない場合が多い状況を考えると、計り知れず大きなものだと思います。

反面、科学・工学の諸概念や理論の根幹が英語である以上、先端的なあるいはオリジナルなアイデアになればなるほど翻訳言語ではない本家の英語に依拠せざるを得ないことも納得できるような気もします。

> ① 研究者が英語の母語話者であれば、外国語の習得に莫大な時間をかける必要はありません。日本人が研究を行うためには英検1級程度の英語能力があれば十分のようですが、その習得に・・・4000時間を要することを考えると、はなはだ不公平・・・

> ② 日本の研究者は創造性がない、とよく言われますが、仮にそれが本当であるとすれば、英語の習得に時間を奪われていることがその原因の一つではないのか・・・

> ③ イギリスやアメリカが大勢のノーベル賞受賞者を輩出している事にも、外国語を習得する必要がない、従ってより多くの時間と労力を研究に使える、という優位性が少なからず与している・・・

> ④ 自然科学の各分野での一流誌は、大部分がイギリスあるいはアメリカで発行され・・・イギリスで発行されている「Nature」が世界最高の学術誌であり、それにほぼ比肩するのがアメリカの「Science」であるという事実にも・・・英語話者の優位性が端的に現れている・・・

> ⑤ 英語で発表されていなかったために、立派な業績であるにもかかわらず、国際的に日の目を見なかった研究は多い・・・

> ⑥ 「英語支配」という言葉がふさわしい状況・・・

> ⑦ 多くの日本人科学者にとっては・・・その習得が研究に対する大変な負担となることは否定しがたい事実・・・また、大変な努力によって十分な英語力を身につけたとしても、母語話者並みの水準に達するのは至難の業・・・

この ①~⑦ のご指摘 はなかなか反論しがたい重さを持っています。

それでも、私は、議論・日本語・英語が好きなこともあり、何か言いたくなります。思いつくままに気楽に書かせていただきますので、寛大に聞き流していただければ幸いです。

①について: たとえば英米人科学者の場合、外国語の勉強に4000時間を費やす必要はありません。ところが、彼らは概してたいへんに頑健な人種で、種々雑多なことにえらく情熱を注ぐことが珍しくありません。科学以外のことに向けるエネルギーの大きさは日本人科学者を明らかに凌ぐと思います。費やす時間も相当なものでしょう。スポーツに秀でていたり、楽器を熱心に演奏したり、本格的な詩や小説を書いたり、多忙な臨床医でありながら卓越した分子生物学者であったりします。艶やかな世界に没頭する科学者もいます。また、科学の言葉がラテン語であった時代もありました。ニュートンが「プリンキピア」をラテン語で書いたのはみなさんご存知の通りです。今でも、外国語を熱心に勉強して趣味の域をはるかに超えるレヴェルに達する科学者もいます。

翻って日本人科学者が英語を勉強する場合、それは科学の研究に直結しています。英語を読んでアイデアを得ることは日常茶飯事でしょう。日本語とはまったく違う言語を勉強することは新たな発想の仕方会得することにもなる。さらに、日本語より英語のほうが科学的な記述に適しているという利点もある。

ただ、製造業は日本がダントツな場合が多い。この分野では日本語の力も強大で、英語圏からみたら日本語が厚い壁のように見える。アメリカには技術者に対する日本語教育プロジェクトがあったりするようです。

②について: 英語の勉強が創造性を阻害するとは考えません。その逆だと考えます。だから、4000時間は無駄ではない。また、科学英語は創造性を阻害するほど難解だとも思えません。英語に強くなることで、むしろ、創造性が促進されることもあるでしょう。

③について: 英語自体が近代化科学に適していたと考えられませんか? 単純な計算で恐縮ですが熱心な科学者が1日8~9時間20年間研究に従事するとして約6万時間。4000時間はその7%弱。しかも、英語は、いったん習得すれば研究・創造活動の便利な道具になる。日本語+アルファの道具になる。ノーベル賞の障害になるとは思えません。私は、英語自体の他に、日本にはない文化、例えば有能な奇人を鷹揚に受け入れる英国の文化なども、ノーベル賞に貢献していると思います。

④について: この現象は、日本文学の学術誌の主要言語が日本語であるのと同じではありませんか。欧米の日本文学研究者は英語などでも書きますが、主流はあくまで日本語です。ドナルド・キーンさんは、「今や世界のどこへ行っても日本語で文学の話しができる」という趣旨の話をされています。科学の言語が英語である以上当然なことではありませんか? もし英語が滅びたら科学は壊滅的な打撃を受けるでしょう。キーンさんは「日本語は文学のことばである」ともおっしゃっています。

⑤について: こんなことがあってはいけない、充分注意していただきたいと思います。

⑥: 「英語支配」はいわば自然な成り行きでしょう。日本がもし超・軍事・政治・経済・科学大国であったなら「日本語支配」が実現します。しかし、それはありえない。

⑦: 立派な日本語があるのですから、英語で母語話者並みの水準に達する必要はないと考えます。たとえばアメリカの科学を支えているのは英語のネイティヴ・スピーカーだけではありません。英語を母国語としない人たちも大いにアメリカの科学に貢献しています。大学で学生から苦情が出るほどひどい訛りの科学者もいます。そんな多様性がアメリカの科学のダイナミズムの重要な要因になっているという人も多い。

長広舌におつきあいいただきありがとうございました。

これからも、どうか英語を道具にして活かしていただきたいと思います。

ご健康とさらなるご活躍をお祈りしています。

また、おたよりください。

これにて、失礼します。

Thank you.

追記: Pcj さんからコメントいただいた記事「日本人は英語ができないと科学者になれない?」で引用した文章が「著作権法に触れる可能性あり」との連絡を nifty さんからいただきましたので、該当する2つの記事 ① 「日本人は英語ができないと科学者になれない?」 ② 「日本人は英語ができないと科学者になれない?・続」を2003年2月23日に削除しました。悪しからずご了承ください。

なお、Pcj さんが寄せてくださったコメントは以下のとおりです。

-----------------

はじめまして。Pcjと申します。
 ky様の「アンチバベルの塔」にはとても興味を持っており、日頃より貴ブログを拝読させていただいております。特に「学習用辞書の単語は、母語話者にとっては知っていて当たり前の単語ばかり」「辞書1冊分の単語を覚えることは可能である」等の主張には大いに衝撃を受けました。偉大な先人が辞書を暗記したという逸話は多いようですが、一般の英語学習者向けに、辞書を暗記する具体的な方法を提案された方はky様が初めてではないかと思います。
 私は化学を学んでおり、科学者と英語の問題は大きな関心事であるため、コメントをさせていただきたいと思います。
 日本の科学者がおかれている状況は、「英語ができなければ研究ができない」という非常に理不尽な状況です。自然科学分野では、事実上、英語が完全に世界共通語となっています。日本で発行されている学術誌を見ても、著者は日本人ばかりなのに掲載論文は大半が英語、ということがよくあります。もはや英語が読めなければ研究に必要な文献すら読めません。
 理系の学生は英語が苦手であることが多いのですが、卒業研究で研究室に配属されれば、必ず英語論文を読むことになります。学部生はまだしも、大学院生となれば、学位論文を英語で書くことが当然視されます。このような状態なので、英語が大の苦手という若山照彦博士は大変な苦労をされたと思います。
 世界共通語としての英語の利便性は計り知れません。しかし、ky様が常に主張しておられるように、ある程度の水準の英語を身に着けるには莫大な時間と労力が必要になります。ある高名な研究者は「自然科学は英語を学ぶことから始まる」とまで言ったそうです。それに対して、研究者が英語の母語話者であれば、外国語の習得に莫大な時間をかける必要はありません。日本人が研究を行うためには英検1級程度の英語能力があれば十分のようですが、その習得に3000~4000時間を要することを考えると、はなはだ不公平であると思います。
 日本の研究者は創造性がない、とよく言われますが、仮にそれが本当であるとすれば、英語の習得に時間を奪われていることがその原因の一つではないのか、と思います。
 他方、英語話者はどうかといえば、イギリスのサッチャー元首相は「イギリス人のノーベル賞受賞者数を国民総数で割ると、国単位では世界一」であると言ったそうですが(柘植俊一著『反秀才論』岩波現代文庫)、イギリスやアメリカが大勢のノーベル賞受賞者を輩出している事にも、外国語を習得する必要がない、従ってより多くの時間と労力を研究に使える、という優位性が少なからず与していると思います。
 また、自然科学の各分野での一流誌は、大部分がイギリスあるいはアメリカで発行されています。自然科学においては、イギリスで発行されている「Nature」が世界最高の学術誌であり、それにほぼ比肩するのがアメリカの「Science」であるという事実にも、現在の自然科学研究におけるこの二国の優位性、さらに言えば英語話者の優位性が端的に現れているような気がします。
 このような自然科学における言語格差は今に始まったことではなく、英語で発表されていなかったために、立派な業績であるにもかかわらず、国際的に日の目を見なかった研究は多いようです。
 しかし近年、グローバル化(アメリカ化)やインターネットの発達とともに英語一辺倒の傾向はとみに強まり、一部の学会では、年会における使用言語を英語に限定したり、学会誌の論文投稿規程には「英文のみ」と定めるなど、津田幸男氏のいう「英語支配」という言葉がふさわしい状況を呈しています。このような状況に対し、国立天文台の谷川清隆氏は「これが進めば日本語が『使ってもよい言語』に成り下がる。書き言葉だけでなく、話し言葉まで英語に占領される」と警鐘を鳴らしていますが(朝日新聞、04年5月19日朝刊)、そうなるのは時間の問題であるという気がします。
 しかし、多くの日本人科学者にとっては、英語がいかに必要不可欠な言語であろうと、その習得が研究に対する大変な負担となることは否定しがたい事実であります。また、大変な努力によって十分な英語力を身につけたとしても、母語話者並みの水準に達するのは至難の業です(極めて高い英語力を持っている、京都大学の青谷正妥氏でさえ「僕の英語力は典型的な京大の教員の一億倍、しかし、ネイティブスピーカーの一億分の一」と述べておられます)。
 英語が科学における共通語である限り、日本人科学者は英米の研究者の後塵を拝するのみという事になってしまいます。しかしながら、英語の不得意な若山博士が、それを武器に独創的な研究を行い、一流の業績を挙げられた事は、大いに希望のもてる事実だと思いました。
 遅ればせながらのコメントとなってしまい失礼いたしました。これからも益々のご活躍をお祈りしております。

名前: Pcj | February 15, 2006 07:10 PM

---------------------------

|

« 学習時間をもっと意識しよう(2) | Main | ただいま部屋の大整理中 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47849/8710055

Listed below are links to weblogs that reference コメントにお答えする(5/2006):

« 学習時間をもっと意識しよう(2) | Main | ただいま部屋の大整理中 »