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現実的な語彙強化(3)

今回から、前回までに掲げた目標を達成するための手段として「辞書暗記」を取り上げます。

「辞書暗記」の具体的な方法として「アンチ・バベルの塔」を採用します。この「塔」方式は、ただのアイデアではなく、すでに実証済みの非常に有効な方法です。

その有効度と実際のやり方はすでに詳細に説明済みですから省略します。

私の経験によると、「アンチ・バベルの塔」方式で1時間に暗記可能な語彙数は4個程度です。つまり、暗記速度は、「①時速・4語彙」です。

この暗記速度と市販の単純な単語帳を暗記する速度を比較しないようにしてください。「アンチ・バベルの塔」は、各自独自に作成する徹底して個人的な創作物で、極度の独自性に大きな価値のある単語帳であり、また、その暗記速度は、単に暗記に要する時間だけではなく、1連の作業に要する時間も含む数値ですから、目の前にあるものを直ちに暗記していく場合の速度と比較することは不可能です。

ネイティヴ・スピーカーは、18歳になるまでだいたい90分に1個の割合で語彙を覚えていきます。したがって、ネイティヴの暗記速度は「②時速・0.6語彙」。

①は②の6倍。いずれもきわめて大雑把な計算で、個人差もたいへん大きいですから、あまり参考になりませんが、無意識の暗記よりかなり効率が高いことは確かです。

だいたいの暗記速度の他に、自分の現行の語彙力を承知しておいたほうがいいです。そうしないといったいどれほどの時間が必要なのか見当もつかないからです。

自分の現行・総語彙数を知る最も簡単な方法は、「上級学習英英辞典=ネイティヴ・スピーカーの語彙の上限」の見出し語および準見出し語を50ページほどチェックして既知語彙の数を合計し、たとえば2000ページの辞書であれば、その合計数字×40倍で計算することです。4分の1ページぐらいチェックすればもっと正確な既知語彙数が判明します。10%の既知語彙率の場合、認識語彙だけに限れば、ネイティヴ・スピーカーの10分の1の語彙力だという大雑把な判断ができます。

ただし、「上級学習英英辞典」の語彙レヴェルは教養あるネイティヴ・スピーカーの語彙レヴェルに相当しますから、普通のネイティヴ・スピーカーの語彙レヴェルに対する自分の現行・既知語彙率を知りたい場合は、「中級学習英英辞典」をチェックすればOKです。

目標レヴェルは、先にも述べましたように、普通で充分ですが、上限レヴェルに対する自分の現行ポジションを知っておくのもおもしろいと思います。

限りある人生ですから、現在位置も不明で目標地点も分からずコンパスもない状態で語彙の無限宇宙をさまよう(たとえば多読で語彙強化を図る)のは決して賢明な策ではないことを意識しておくべきです。

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絶対必要な英単語6000語(361/365)

どこから始めてもかまいませんが、1/365 とか 2/365 とかいう番号だけはどこかに記入しておきましょう。どの部分をやったかあとで分からなくなるからです。

あれこれ覚え方を工夫する暇があるなら、とりあえず「アンチ・バベルの塔方式」で、ひとつでも単語を覚えた方が早いです。

知っていると思っていても、こんな超基本語にはいろいろな、あるいは、意外な意味があることが多いですから ― 時間がある人は ― この際ていねいにチェックした方がいいです。

いやになったら、やった分だけでも無駄にしたくないですから、復習だけすればいいですよ! 

なお、派生語 / 熟語 / 連語、その他関連語も辞書に記載がある限り、チェックしておきましょう。

さあ、今日の語彙です。

5910 wilt

5911 win

5912 wince

5913 winch

5914 wind (1)

5915 wind (2)

5916 windbreaker

5917 wind chill

5918 windfall

5919 winding

5920 windinstrument

5921 windmill

5922 window

5923 windowpane

5924 windpipe

5925 windshield

5926 windy

5927 wine

5928 wing

5929 winged

5930 wingspan

5931 wink

5932 winner

5933 winter

5934 wintry

5935 wipe

5936 wire

5937 wiretap

5938 wiry

5939 wisdom

5940 wisdom tooth

5941 wise

5942 wish

5943 wisp

5944 wistful

5945 wit

5946 witch

5947 witchcraft

5948 withdraw

もし知らない単語があれば英和辞典で調べて必ず―できるだけアンチ・バベルの塔方式で―覚えていきましょう。

超常識単語ですから、屁理屈をつけず無条件に覚えることが肝心です。

(番号等についてご注意ください: 注意はしますが、スペルや番号その他のミスをしてもチェックする時間がありませんのでご容赦ください。お手数ですがお知らせいただければ訂正いたします。)


バートランドラッセルの幸福論 その245

(下記のように区切りながら確認すると文章の構文がはっきりして文全体を覚えやすくなります)

And the passion that has given driving force to democratic theories is undoubtedly the passion of envy.

そして 情熱 that 推進力を与えた to 民主主義理論 is 疑いなく ねたみの情熱

(そして、民主主義理論に推進力を与えた情熱は妬みの情熱であったことは確かである)

続く...

追記: T.K さん、メイルありがとうございました。このシリーズの最後(365 / 365 )まで書き込みを続けます。よろしくお願いします。こつこつ続ける「塔」建設のコツを体得なさったことを願っています。時間が少なくなってもそれなりのペースで自分に最適な辞書を見つけて続行されることをお勧めします。ネイティヴでも5~6万の語彙を習得するのに17年間かかるわけですから、辞書暗記の高効率を念頭においても、数年~10年のスパンで完成させても充分にペイするはずです。どうか、根気強く1歩1歩踏みしめながら ― 時には踏み外すこともあると思いますが ― 進んでください。後で振り返れば光陰矢のごとしですが、その間に蓄積されるものはとても一朝一夕には成しえない厚みと重みを備えた貴重な宝物になります。静かに燃え続ける情熱の炎こそ勝利の鍵です。

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現実的な語彙強化(2)

前回に、語彙強化のための予備知識として、次の3つのことを承知しておく必要があると書きました。

① 子供の認識語彙数は、読み書きを覚える前の年齢つまり6歳で約1万3000語に達している。

② 高校卒業生の認識語彙数は6万語ぐらいである。

③ 教養のある大人の認識語彙数は15万~20万語ぐらいであり、これは上級学習英英辞典の総語彙数に相当する。ただし、専門用語などは含まない。

そして、普通の日本人の語彙強化の目標として次の2点をあげました。

(1) ① の語彙を精査して覚えること。

(2) 総合的な語彙レヴェルとして②の語彙まで覚えること。

さらに(1)(2)の目標を達成するために、比較相対的に最善の手段として、「辞書暗記」という方法を採用するのがいいと思うと書きました。

なぜ、(1)と(2)を目標とすべきかについては、既にいろいろな観点から説明済みですから、省略しますが、その根底にあるのは「英語は、ネイティヴなら誰でも知っている常識語彙を覚えてしまわない限り、生涯不全なままである」という考え方です。

それは、また、「(2)まで達成すれば、ものを読むことに関する限り、ネイティヴと同等の位置に立つことができる」という考え方でもあります。

いつまでたっても絵本や児童書や語彙数制限本しか読めないのはいやだ」というスタンスです。

次に、忘れてならない事実は、普通の人は5~6万語の語彙があれば充分だということ。普通の生活には困らない、大人の読書も充分楽しめるということ。時間があるなら総語彙数15万語超にすれば普通以上にいろいろなことが英語で楽しめるということです。

「いくら覚えてもきりがない!」というのは事実ではない。普通の日本人の日本語の語彙数も5~6万語が上限です。

「日本語で6万語前後の語彙とは具体的にどんな語彙なのか?」ということを知りたい人は、たとえば 『小学館 日本語新辞典』 をぱらぱらめくってみれば分かります。

その辞典の「凡例」には、「1 編集方針」として:

「本辞典は、特に、日本語の豊かな表現に役立つ国語辞典をめざし、現代生活に必要な約6万三千語を、現代語を中心に収録した・・・」

と書いてあります(省略・太字 k.y.)。

そして、確かめてみれば分かりますが、この「現代生活に必要な約6万三千語」のなかに理解できない語彙はめったにありません。活用語彙のレヴェルには達していなくてもすべて理解可能な語彙です。

日本語で生活するなかで、語彙に関してまったく支障がないわけですから、「現代生活に必要な約6万三千語」ならほとんど理解できて当然です。

換言すれば、「現代生活に必要な約6万三千語」を超える語彙は、普通は、必要ではないということで、それは、英語の語彙についてもまったく同じです。

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ドナルド・キーン(4)

ここで再度キーンさんの「外国語学習観」について考えてみたいと思います。

キーンさんは、私が前々回に引用した文章で「自分には英語だけでは表現できない面があって、無意識ながら、それをあらゆる言語でどうしても表現したいと思った」という趣旨のことを述べておられる。

また、「外国語を覚えるのに頭の良さは必ずしも必要ではない。普通の子供でも、たとえば5つの言語が入り混じる環境に育てば、苦もなく5ヶ国語をしゃべるようになる。だから、外国語を覚えること自体はたいしたことではない。無意味なことをしゃべるなら黙っていたほうがいいくらいである。日本では外国語をすらすら暗記する人を天才だというが私は抵抗を感じる」とも語っておられる。

こんな発言は何を意味するのでしょうか?

私が思うに、キーンさんにとって数ヶ国語を覚えることぐらいはあまり負担にならなかったということ。

記憶力が抜群だったということ。

またそんな記憶力がなければ、あれほどの質量ともに他を圧倒する業績はあげられない。

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ここで、中断してまた後ほど書き直します。

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現実的な語彙強化(1)

語彙を強化するための予備知識として ― 普通の人の語彙について ― 知っておきたいことが3つ (① ② ③) あります。日本語の場合も英語の場合も大差はないと思われます。

語彙数のカウントに関しては、「学習用英英辞典」の見出し語および準見出し語の記述法をイメージしてもらったらあまり問題はないはずです。

語彙数などの主な情報源は 『言語を生み出す本能(スティーブン・ピンカー著)』 ですが、私自身の経験を通じての推測値も含みます。

① 子供の認識語彙数は、読み書きを覚える前の年齢つまり6歳で約1万3000語に達している。なお、語彙を覚え始めるのは12ヶ月前後からである。

したがって1歳になるころから、毎日平均7~8語彙を、寝ている時間を省いて、2時間に1語彙ぐらいの割合で覚えていることになる。

ノン・ネイティヴはこの時期に習得される語彙 ― 超基本的な「語彙およびチャンク表現」 ― に大きな問題をかかえている。読み書き以前の段階を経験できないからである。

② 高校卒業生の認識語彙数は6万語ぐらいである(読書好きな人であれば12万語ぐらいになる)。

だから、6歳ごろから、毎日平均10~11語彙ずつ、覚えていることになる。

③ 教養のある大人の認識語彙数は15万~20万語ぐらいであり、これは上級学習英英辞典の総語彙数に相当する。ただし、専門用語などは含まない。

そこで、普通の日本人が目標にしたいことは:

(1) ① の語彙について、不足している部分を確認して覚えること。この作業を軽視しがちであるから、注意したい。ネイティヴは500~1000語の基本語彙を主として活用しながら (もちろん ②以上の語彙もときどき使うが) 2~3時間しゃべることができる。

(2) ② までの語彙を理解できるようになること。そうすれば、たとえば一般的な読み物 (典型的には Reader's Digest など)は無理なく読めるので、認識語彙に関する限りネイティヴに近いと言える。

そして、(1)や(2)の目標を達成する最善の方法は、欠点も当然あるが、辞書を読んで未知語彙を覚えること、たとえば「アンチ・バベルの塔」を建設することである。

そんな方法の意義と具体的で現実的な採用法について、みなさんの「アンチ・バベルの塔」に関するコメントや批判を考慮しながら、次回に検討したいと思います。

続く....

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ドナルド・キーン(3)

キーンさんはどのようにして日本語の学習を始めたのでしょう?

『日本を理解するまで』を再読で拾い読みしながら話を続けます。

キーンさんは、コロンビア大学3年生の夏、中華料理店でキーンさんが食事しているのをよく見かけると言って語りかけてきた人に「山荘を持っているからそこでいっしょに日本語を勉強しないか」と誘われたそうです。

その人と他の1人とキーンさんの3人で始めたが、最後までがんばったのはキーンさんだけ。2ヶ月間の勉強だった。その後は大学で日本語の2年生の授業を受けたが教師が無能だったので失望し翌年の春から日本語の3年生になろうと決めた。

ところが、そのころに日米戦争が起こって、日本人は敵国人となってしまい、尊敬していた「日本思想史」の角田柳作先生も大学に来なくなり大きな衝撃を受けた。

そのころに、海軍日本語学校の存在を知り、当局に手紙を書いて入学を許された。

そこの生徒は2種類で、日本生まれで日本語がかなり達者な人たちと、1流大学の文学系の学生で成績が上位5%以内という人たちで、秀才集団だった。それだけに自身図抜けた秀才だったキーン青年もたいへん刺激を受けた。

さて、その日本語学校での勉強がすさまじい。

日曜日を除く週6日、毎日4時間の授業で、準備に原則として8時間かかったそうだ。つまり、毎日12時間以上、日曜日が休みといってもほとんど遊ぶ暇はなかったそうです。

そんな猛勉強のおかげで、生徒たちは日本語の新聞や雑誌を一応読めるようになった。キーンさんは、卒業式で、総代として日本語で演説した。さすがですね。

ここで、キーンさんの日本語学校卒業までの学習時間数を概算してみましょう。

山荘で勉強を初めて、日本語学校へ入るまで、だいたい半年ほどでしょうが、毎日5時間とすると900時間ぐらい。その後の日本語学校での猛勉強がだいたい3500時間。

合計4000時間は超えていると思われます。

4000時間をかけた勉強の成果は、キーンさんの場合自他共に認める非常な秀才ですから、英検で言えばトップクラスで楽々合格といったところでしょうか。

それでも、基礎を築くだけで、大秀才にして4000時間ぐらいの猛勉強が必要だったことになります。

まったく系統の違う外国語の勉強はたいへん時間がかかるということです。

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ドナルド・キーン(2)

ドナルド・キーンさんがコロンビア大学の2年生だったときに、ヒットラーの軍隊がポーランドに侵入して第2次世界大戦が勃発した。

そんな暗い時代の到来を背景にしながらもキーンさんは主としてフランス文化・文学にあこがれてフランス語を熱心に勉強していました。

そのあたりのことを 『日本を理解するまで』 の第2章「生涯を賭ける仕事」で語っておられますが、それを読むとキーンさんの「外国語学習観」がよくわかります。

たいへんユニークで興味をそそる話あるいは並々ならぬ非凡さを示す話だと思ったので引用しておきます(省略・太字 k.y.)↓:

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・・・ ヨーロッパで戦争が始まった時、私は大学2年生としてなんとなく最後の自由を楽しんでいる、という心境だった。大方の青年と同じく悩みもあり、決して楽しい時代ではなかったが、好きな勉強を好きな時にできるというのは、何と言っても有難かった。私は外国語と外国文学に専心し、そこから慰めを得ていたのだ。

 ただしそれは、未翻訳の作品を原文で読みたいからでもなく、外国人と話したいからでもなかった。はっきり意識していたわけではないが、自分の中に英語だけでは表現できない面もあるはずだ、と思っていたに違いない。生まれたばかりの赤ん坊は、可能性としてあらゆる言葉ができる。そして、それぞれの言葉の持つ音声効果、構造などによって、その表現力も違ってくる。

 たとえばフラン人でない私でも、ラシーヌの詩の一行をフランス語で朗読すると、その一行の意味をはるかに超えた美しさに打たれる。もちろん、ラシーヌの言葉の意味は分からなくとも、語呂の心地よさによってしまうこともあるだろう。けれども、ラシーヌの素晴らしさを本当に知ろうと思えば、やはりフランス語を覚えるより他はない。そしてフランス語をかなりマスターすれば、自分の中にあるラシーヌ的なものも表現できるようになると思う。

 私はおそらくそのことを無意識に感じて、内面にあるものを、あらゆる言語によってどうしても表現したいと思ったのではないだろうか。漠然としているが、そう説明するしかないようだ。

(引用終止)

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キーンさんは、「何ヶ国語を話されるのですか」と聞かれて ― 「英語日本語フランス語中国語スペイン語イタリア語では講演できます。オランダ語も分かります。でも日本人は今でもわたしに英語で話しかけないと失礼だと思っている(笑い)」 ― とおっしゃっています(『私と20世紀のクロニクル』を前にした読売新聞のインタヴュー記事より)。

続く...


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ドナルド・キーン(1)

現代人・古典語・母語・外国語

ドナルド・キーンさんは、自著の 『日本を理解するまで』 で古典語の学習について ―

・・・現代人にとって、ラテン語は不必要であるという考え方が一部にあるが、過去のイギリス人の優れた文体とか豊富な語彙は明らかにラテン語の影響によるという認識を私は持っている。ウェイリーさん(k.y.注:ウェイリーは『源氏物語』をはじめて英訳した外国人)の時代のように、ラテン語も他の言語もふだんから勉強していれば、優れた英文を自然に覚えられたわけだが、私たちの世代となると、よほど努力しない限り、文章を書けなくなっているのではなかろうか。

 日本における漢文の勉強だって同様である。かつての日本の知識階級はこぞって漢文を習得し、ためにことばも豊富だったし、文体も今のそれとはかなり違っていた。たとえば森鴎外の文体には、明らかに漢文に追うところがある。

 また私は過渡期の日本文学者の一人に過ぎないが、それでも古典から現代までのあらゆる文学作品に貪欲だった。何もかも読みたいという意欲に燃えていた。しかし、ウェイリーさん時代の人たちに逆立ちしてもかなわないのはなぜか。残念ながら、私たちは彼らと違って文学を生きたとは言えないのだ。さらに私たちの後輩となると、また変わっていく。多分、彼らの形式は、やがて外国人による日本研究のパターンとして定着するのかもしれない。

 私の世代やウェイリーさんの世代と、どう違うか。彼らがいかなる研究をするかはともかく、もっと専門的に特定の問題について深く究明できるようになるのではないかと思う。つまり、日本の国語学者や国文学者と同じように研究できるだろう。現在、私の教え子たちは、二十歳前後で日本に留学すると、日本人と同じ教室で講義を聴き、日本人と一緒に働いたり遊んだりして、日本語を完全にマスターすることができる。その代り、ラテン語に象徴されるようなヨーロッパの教養を充分に勉強できないから、西洋文化についての知識はかなりおろそかになる恐れがある。特に、母国語の英文が充分に洗練されないで終わる可能性があるのではないか・・・

― と書いておられます(省略 k.y.)

キーンさんが日本語を学びはじめたのは大学生になってからです。そして、キーンさんの日本文学・文化に対する造詣の深さや日本語のすばらしさの土台にあるのは欧米の文学・文化・言語に関する豊かな教養です。

キーンさんは、現在読売新聞に連載中の 『私と20世紀のクロニクル』 の第5回目で ― 最近では古典的名著を重要視することは時に軽蔑の対象となりがちだが・・・今でも私は、たとえば近松の悲劇について講義する場合、自分の手引きとしてアリストテレスの「詩学」を使い、何が普遍的で何が日本の芝居に特有のものかを説明する傾向がある・・・― と述べておられる(翻訳:角地幸雄氏・省略 k.y.)。

話はちょっと飛躍するが、私は小学校で「チーチーパッパ英語」の授業を取り入れるのに反対です。そんな時間があるならもっと国語=日本語の授業を増やし充実せて欲しい。

小さいころから英語の音に慣れるというメリットは確かにありますが、いったい何%の授業が正確な発音やリズムを児童に練習させることができるのか、はなはだ心もとないと思います。

そんなことをしている暇があるなら、ちゃんとした英語の音声練習もできないなら、たとえば漢字をもっと教えてあげて欲しい。嫌がらずに懸命に漢字を覚えようとする子もいっぱいいます。難しい字もどんどん覚える子もいます。

そんな子供達の日本語の勉強時間が「チーチーパッパ」のために少しでも失われるとしたら、その分彼らの日本語が痩せていくとしたら、本人も周囲もそれに気づかずに大人になるとしたら、やっぱり悲劇です。

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ただいま部屋の大整理中

先週末(2006年2月10日)から、部屋の大整理、つまり雑誌や本の整理に追われてブログを書く間もないほどです。

直接のきっかけはパソコンを買い換えたためです。HTテクノロジ(R)4・メモリ1G・HDD250G。私は自室ではテレビも見ないしゲームもしないから充分快適に作業できる性能です。

それはいいのですが、いったん整理を始めたとたんに42平方メートルのワンルームが古本屋の倉庫みたいになってしまってもうたいへん!

部屋の本を3分の1ほど他の空き部屋に移そうとしているのですが、まずその選り分けにとまどっています。書棚の前後2列に詰め込まれていた本の山は予想以上でいつ片付くのやらちょっとあせっています。

16年ほど前にログハウスを建てその2階に自分の部屋を移して以来こんなに大きな整理をするのははじめてですから当然と言えば当然なのですが、それにしても多い!

買った本屋や雑誌は全部覚えていますから思いでもぞろぞろ出てくる。挫折した計画の跡もぞくぞく出てくる。ついつい読んでしまったりしていると1日がすぐに過ぎてしまう。

当初はこの部屋にまだパソコンなどなかったし、インターネットがこんなに普及することなど思いもよらなかった。PCそしてネットが普及するにつれて本や雑誌のスタイル・内容が変わっていったようすもよくわかります。

英語の辞書の有り様も変わった。激変した。生徒・学生の辞書法も様変わりした。中学生で紙の辞書を使う子は珍しくなった。

2人の子供はまだ中・高生で本や机を運ぶのを手伝ってもらった。今はその2人とも、あたりまえに自立して、他府県に住む。夫婦2人だけの静かな生活。

大整理を思い立ったのはそんな家庭事情の変化も影響しているのかも知れない。自分もちょっと整理してみようと思ったのかもしれません。

もうひとつあります。「アンチ・バベルの塔」建設が山を越えたことです。この部屋で語彙増強のアイデアを練り試行錯誤を重ねついに塔の結実に収斂したわけです。その間にいろいろな先輩諸氏の本を読み雑誌を漁り新聞の切抜きをし思いつくアイデアのすべてを試してきました。そんな過去の整理でもあります。ぞろぞろ出てくる本や雑誌のそれぞれにそれぞれの時期の思い出や挫折の数々が詰まっています。

「PCの普及・高性能化・インターネットの充実・子供の自立・最大の懸案のひとつであった語彙強化が塔に収斂したこと」などが大整理を促した。

春には車も買い替えます。

こんな整理をもっと有体(ありてい)に言えば、現実が9割・希望が1割になったということ。

若かったころは、希望が9割現実が1割でした。


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コメントにお答えする(5/2006)

Pcj さん、はじめましてk.y. です。

このたびはたいへんねんごろなコメントを寄せていただきありがとうございました。

理科系の方にとって、英語が、好き嫌いを問わず必要であることはある程度存じていました。

私が英会話学校に勤務していたころも大学の教員・研究者の方が時々受講されていてしかも例外なく熱心に勉強されていたことを覚えています。海外の学会に出席されたときにいただいたお土産の品が私の部屋のオブジェになっていたりします。1部の方とは今も交流があります。

だから、論文を読み書きしたり研究の成果をプレゼンしたりする際に英語があたりまえに必要であることは知っていました。

しかし、若山さんが指摘されるほど英語が切実であるとは思っていませんでした。英語の科学に閉めるウェイトの大きさにちょっと驚いています。

そして、「英語ができないと科学の研究者にはなれない」ということは明らかに理不尽だと思う一方で、かくも大きな英語の重要性を考慮すると、それも現実にはやむを得ないことなのかなあと感じるようになりました。

今回、Pcj さんのお話をうかがって、ますますその感を強くしています。

> ある高名な研究者は「自然科学は英語を学ぶことから始まる」とまで言ったそうです。

こんなことをお聞きすると、日本が鎖国をやめて富国強兵策に転じた明治初期から、日本が科学を学んだのは主として英独語などの外国語を通じてであったことを思い出します。帝国大学を創立して科学・工学の本格的な教育を開始したとき、学生を教育したのはお雇いの外国人で、用いられた言語はもちろん外国語で、中でも英語が重用されるようになったことは周知の事実です。

だから、日本の科学・工学は、実は、外国語(なかんずく英語)の翻訳であったと言っても過言ではないないでしょう。

先人たちが科学・工学をしっかり日本語に移植して日本語による科学・工学の高等教育を可能にした功績は、他のアジア諸国の大学教育が未だに英語に依存せざるを得ない場合が多い状況を考えると、計り知れず大きなものだと思います。

反面、科学・工学の諸概念や理論の根幹が英語である以上、先端的なあるいはオリジナルなアイデアになればなるほど翻訳言語ではない本家の英語に依拠せざるを得ないことも納得できるような気もします。

> ① 研究者が英語の母語話者であれば、外国語の習得に莫大な時間をかける必要はありません。日本人が研究を行うためには英検1級程度の英語能力があれば十分のようですが、その習得に・・・4000時間を要することを考えると、はなはだ不公平・・・

> ② 日本の研究者は創造性がない、とよく言われますが、仮にそれが本当であるとすれば、英語の習得に時間を奪われていることがその原因の一つではないのか・・・

> ③ イギリスやアメリカが大勢のノーベル賞受賞者を輩出している事にも、外国語を習得する必要がない、従ってより多くの時間と労力を研究に使える、という優位性が少なからず与している・・・

> ④ 自然科学の各分野での一流誌は、大部分がイギリスあるいはアメリカで発行され・・・イギリスで発行されている「Nature」が世界最高の学術誌であり、それにほぼ比肩するのがアメリカの「Science」であるという事実にも・・・英語話者の優位性が端的に現れている・・・

> ⑤ 英語で発表されていなかったために、立派な業績であるにもかかわらず、国際的に日の目を見なかった研究は多い・・・

> ⑥ 「英語支配」という言葉がふさわしい状況・・・

> ⑦ 多くの日本人科学者にとっては・・・その習得が研究に対する大変な負担となることは否定しがたい事実・・・また、大変な努力によって十分な英語力を身につけたとしても、母語話者並みの水準に達するのは至難の業・・・

この ①~⑦ のご指摘 はなかなか反論しがたい重さを持っています。

それでも、私は、議論・日本語・英語が好きなこともあり、何か言いたくなります。思いつくままに気楽に書かせていただきますので、寛大に聞き流していただければ幸いです。

①について: たとえば英米人科学者の場合、外国語の勉強に4000時間を費やす必要はありません。ところが、彼らは概してたいへんに頑健な人種で、種々雑多なことにえらく情熱を注ぐことが珍しくありません。科学以外のことに向けるエネルギーの大きさは日本人科学者を明らかに凌ぐと思います。費やす時間も相当なものでしょう。スポーツに秀でていたり、楽器を熱心に演奏したり、本格的な詩や小説を書いたり、多忙な臨床医でありながら卓越した分子生物学者であったりします。艶やかな世界に没頭する科学者もいます。また、科学の言葉がラテン語であった時代もありました。ニュートンが「プリンキピア」をラテン語で書いたのはみなさんご存知の通りです。今でも、外国語を熱心に勉強して趣味の域をはるかに超えるレヴェルに達する科学者もいます。

翻って日本人科学者が英語を勉強する場合、それは科学の研究に直結しています。英語を読んでアイデアを得ることは日常茶飯事でしょう。日本語とはまったく違う言語を勉強することは新たな発想の仕方会得することにもなる。さらに、日本語より英語のほうが科学的な記述に適しているという利点もある。

ただ、製造業は日本がダントツな場合が多い。この分野では日本語の力も強大で、英語圏からみたら日本語が厚い壁のように見える。アメリカには技術者に対する日本語教育プロジェクトがあったりするようです。

②について: 英語の勉強が創造性を阻害するとは考えません。その逆だと考えます。だから、4000時間は無駄ではない。また、科学英語は創造性を阻害するほど難解だとも思えません。英語に強くなることで、むしろ、創造性が促進されることもあるでしょう。

③について: 英語自体が近代化科学に適していたと考えられませんか? 単純な計算で恐縮ですが熱心な科学者が1日8~9時間20年間研究に従事するとして約6万時間。4000時間はその7%弱。しかも、英語は、いったん習得すれば研究・創造活動の便利な道具になる。日本語+アルファの道具になる。ノーベル賞の障害になるとは思えません。私は、英語自体の他に、日本にはない文化、例えば有能な奇人を鷹揚に受け入れる英国の文化なども、ノーベル賞に貢献していると思います。

④について: この現象は、日本文学の学術誌の主要言語が日本語であるのと同じではありませんか。欧米の日本文学研究者は英語などでも書きますが、主流はあくまで日本語です。ドナルド・キーンさんは、「今や世界のどこへ行っても日本語で文学の話しができる」という趣旨の話をされています。科学の言語が英語である以上当然なことではありませんか? もし英語が滅びたら科学は壊滅的な打撃を受けるでしょう。キーンさんは「日本語は文学のことばである」ともおっしゃっています。

⑤について: こんなことがあってはいけない、充分注意していただきたいと思います。

⑥: 「英語支配」はいわば自然な成り行きでしょう。日本がもし超・軍事・政治・経済・科学大国であったなら「日本語支配」が実現します。しかし、それはありえない。

⑦: 立派な日本語があるのですから、英語で母語話者並みの水準に達する必要はないと考えます。たとえばアメリカの科学を支えているのは英語のネイティヴ・スピーカーだけではありません。英語を母国語としない人たちも大いにアメリカの科学に貢献しています。大学で学生から苦情が出るほどひどい訛りの科学者もいます。そんな多様性がアメリカの科学のダイナミズムの重要な要因になっているという人も多い。

長広舌におつきあいいただきありがとうございました。

これからも、どうか英語を道具にして活かしていただきたいと思います。

ご健康とさらなるご活躍をお祈りしています。

また、おたよりください。

これにて、失礼します。

Thank you.

追記: Pcj さんからコメントいただいた記事「日本人は英語ができないと科学者になれない?」で引用した文章が「著作権法に触れる可能性あり」との連絡を nifty さんからいただきましたので、該当する2つの記事 ① 「日本人は英語ができないと科学者になれない?」 ② 「日本人は英語ができないと科学者になれない?・続」を2003年2月23日に削除しました。悪しからずご了承ください。

なお、Pcj さんが寄せてくださったコメントは以下のとおりです。

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はじめまして。Pcjと申します。
 ky様の「アンチバベルの塔」にはとても興味を持っており、日頃より貴ブログを拝読させていただいております。特に「学習用辞書の単語は、母語話者にとっては知っていて当たり前の単語ばかり」「辞書1冊分の単語を覚えることは可能である」等の主張には大いに衝撃を受けました。偉大な先人が辞書を暗記したという逸話は多いようですが、一般の英語学習者向けに、辞書を暗記する具体的な方法を提案された方はky様が初めてではないかと思います。
 私は化学を学んでおり、科学者と英語の問題は大きな関心事であるため、コメントをさせていただきたいと思います。
 日本の科学者がおかれている状況は、「英語ができなければ研究ができない」という非常に理不尽な状況です。自然科学分野では、事実上、英語が完全に世界共通語となっています。日本で発行されている学術誌を見ても、著者は日本人ばかりなのに掲載論文は大半が英語、ということがよくあります。もはや英語が読めなければ研究に必要な文献すら読めません。
 理系の学生は英語が苦手であることが多いのですが、卒業研究で研究室に配属されれば、必ず英語論文を読むことになります。学部生はまだしも、大学院生となれば、学位論文を英語で書くことが当然視されます。このような状態なので、英語が大の苦手という若山照彦博士は大変な苦労をされたと思います。
 世界共通語としての英語の利便性は計り知れません。しかし、ky様が常に主張しておられるように、ある程度の水準の英語を身に着けるには莫大な時間と労力が必要になります。ある高名な研究者は「自然科学は英語を学ぶことから始まる」とまで言ったそうです。それに対して、研究者が英語の母語話者であれば、外国語の習得に莫大な時間をかける必要はありません。日本人が研究を行うためには英検1級程度の英語能力があれば十分のようですが、その習得に3000~4000時間を要することを考えると、はなはだ不公平であると思います。
 日本の研究者は創造性がない、とよく言われますが、仮にそれが本当であるとすれば、英語の習得に時間を奪われていることがその原因の一つではないのか、と思います。
 他方、英語話者はどうかといえば、イギリスのサッチャー元首相は「イギリス人のノーベル賞受賞者数を国民総数で割ると、国単位では世界一」であると言ったそうですが(柘植俊一著『反秀才論』岩波現代文庫)、イギリスやアメリカが大勢のノーベル賞受賞者を輩出している事にも、外国語を習得する必要がない、従ってより多くの時間と労力を研究に使える、という優位性が少なからず与していると思います。
 また、自然科学の各分野での一流誌は、大部分がイギリスあるいはアメリカで発行されています。自然科学においては、イギリスで発行されている「Nature」が世界最高の学術誌であり、それにほぼ比肩するのがアメリカの「Science」であるという事実にも、現在の自然科学研究におけるこの二国の優位性、さらに言えば英語話者の優位性が端的に現れているような気がします。
 このような自然科学における言語格差は今に始まったことではなく、英語で発表されていなかったために、立派な業績であるにもかかわらず、国際的に日の目を見なかった研究は多いようです。
 しかし近年、グローバル化(アメリカ化)やインターネットの発達とともに英語一辺倒の傾向はとみに強まり、一部の学会では、年会における使用言語を英語に限定したり、学会誌の論文投稿規程には「英文のみ」と定めるなど、津田幸男氏のいう「英語支配」という言葉がふさわしい状況を呈しています。このような状況に対し、国立天文台の谷川清隆氏は「これが進めば日本語が『使ってもよい言語』に成り下がる。書き言葉だけでなく、話し言葉まで英語に占領される」と警鐘を鳴らしていますが(朝日新聞、04年5月19日朝刊)、そうなるのは時間の問題であるという気がします。
 しかし、多くの日本人科学者にとっては、英語がいかに必要不可欠な言語であろうと、その習得が研究に対する大変な負担となることは否定しがたい事実であります。また、大変な努力によって十分な英語力を身につけたとしても、母語話者並みの水準に達するのは至難の業です(極めて高い英語力を持っている、京都大学の青谷正妥氏でさえ「僕の英語力は典型的な京大の教員の一億倍、しかし、ネイティブスピーカーの一億分の一」と述べておられます)。
 英語が科学における共通語である限り、日本人科学者は英米の研究者の後塵を拝するのみという事になってしまいます。しかしながら、英語の不得意な若山博士が、それを武器に独創的な研究を行い、一流の業績を挙げられた事は、大いに希望のもてる事実だと思いました。
 遅ればせながらのコメントとなってしまい失礼いたしました。これからも益々のご活躍をお祈りしております。

名前: Pcj | February 15, 2006 07:10 PM

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学習時間をもっと意識しよう(2)

志村史夫著 『理科系のための英語力強化法』 からの引用を再開します↓。

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(引用再開)

 さらに、子どもは2~3年間、日本語を”聞き流”しているわけではない。周囲の事情を観察し、周囲の人物(特に母親であろう)から日本語の使い方を、文字通り、手取り足取り教わるのである。そのような”実践”を通して母国語である日本語を身体で習得していくのである。そのように誠に充実した、実践的な習得法ですら、comminication ができるようになるまでに2~3年を要するということである。しかも、その communication の内容は、社会的人間として最低限の level のものであり、とても”仕事”に使えるほどのもではないだろう。

 結論として、私自身の経験からも、常識的にも、誠に残念ながら、「1日30分聞き流すだけ」で実用的な英語を習得できるとは断じて思えない。もし、それが可能だというのならば、それは正真正銘、”画期的”だし、そのような人は”天才”であることを疑わない。

 まあ、「1日30分、教材を聞き流すだけで英語が習得できる」は、悪い”冗談”として忘れることにしよう。

(引用中断)

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「子どもは2~3年間、日本語を” ① 聞き流”しているわけではない・・・ ② 周囲の事情を観察し、周囲の人物(特に母親であろう)から日本語の使い方を、文字通り、③ 手取り足取り教わる・・・そのように誠に充実した、実践的な習得法ですら・・・2~3年を要する・・・しかも・・・最低限の level のもので・・・とても”仕事”に使えるほどのもではない」

何とか最低限の communication が可能になるまでに ① 聞き流し ② 周囲の観察  ③ 手取り足取りの指導 をセットにして5000時間は必要。

必要時間数は、個人差が大きいので(たとえば私の次男は何とかしゃべりだすまでに4年以上かかっていました)、5000~6000時間としましょう。

それで ① の聞き取り部分を教材にして CD に記録すると仮定する。実におもしろいリスニング教材になる可能性がありますが、そのことは今は無視して、CDの総時間数に注目します。

すると CD4000~5000枚! ほどになります。

これを教材として売り出したらいくらになるでしょう? 市販の相場を当てはめると 2000万円! ぐらいになる。

さらに、③ の手取り足取りの個人授業料を時間5000円で換算すると、2500万円! を超える。

総計4000~5000万円!。大量生産ではなく各人の個性や進度を充分考慮した教材を作成したり、特に優れた個人教師を雇ったりしたら、1億円超になっても不思議ではない。

まあ、冗談ですが、そんなに荒唐無稽な計算でもありません。

いずれにしても、学習に必要な時間数を無視すると、ほんとうにとんでもない錯覚を醸成してしまいます。

必要時間数を意識しない学習は、結局は時間の浪費であり成果もパッとせず、生涯にわたって霧中を彷徨する結果に終わります

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学習時間をもっと意識しよう(1)

再三再四繰り返し述べていることのひとつは、「学習時間の意識欠如」である。

何度も述べたくなる理由は、書店やネットの英語学習法の議論における信じられないほどの「時間意識欠如」である。

教材を売るために「短時間学習で効果抜群」というとんでもない神話を流布するのであれば、それなりに合理的ではあります。

ところが、神話を、売り上げなど意識せずに、熱心に語る向きもかなり多いように感じます。そのなかには、環境に恵まれているために意識学習が短時間で間に合っていることに気づいていない場合もあります。環境に恵まれていたらTOEIC900点程度ならさほどの負担にはならないからです。それこそ短時間で楽しく受験準備を進められるでしょう。

しかし、普通の日本人にとってそれは神話以外の何でもありません。

『理科系のための英語力強化法』で著者の志村史夫さんは次のように述べておられます。引用しておきます↓。

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(引用開始)

日本人の英語

 「聞き流すだけで英語がデキるようになる」はずがない

 新聞には、英会話や英語の学習教材の全面広告がしばしば登場する。それらの広告には、「テキストも辞書もいらない。1日30分、ただ聞き流すだけ!」「文法無用。ラクラク聞き流し。英会話をこんなにやさしく」「聞くだけで英語が口に出てくるなんて画期的!」というような「宣伝文句」の大きな活字が踊っている。要するに、英語の tepe を聞き(聴きにあらず)流すだけで「英会話」や「英語」がデキるようになるらしいのである。それが事実とすれば、私も”画期的な”ことだと思う。

 その「宣伝文句」の”根拠”は「幼児が言葉を覚えるのに教科書や辞書は使わない。幼児は、周囲の言葉を聞いているだけである」ということらしい。

 確かに、前節”英語の4技能”の項で述べたように、われわれが母国語を習得する過程は「聞→聴→話→読→書」である。しかし、これはあくまでも母国語(native language)の場合の話である。しかも、一つの言葉が一応使えるという level に達するまでに平均して5000時間ほど聞(聴)く必要がある、という統計もある。
 
 日本の子どもが日本語で communication ができるようになり始めるのは何歳くらいからか、考えていただきたい。早い子で2歳くらい、普通で3歳くらいからであろう(マンマとかウマウマとかいう”言葉らしきもの”を発するのは1歳くらいからか)。例えば、日本語を1日に平均して5時間聞(聴)くとすれば、1年間では1825時間になる。このペースで日本語を聞(聴)いて上記の5000時間に達するためには約2.7年(=5000÷1825)が必要ということになり、子どもが日本語で communication を始めるのは2~3歳ということとつじつまが合う。

 英語教育の宣伝文句のように「1日30分聞き流す」とすれば、5000時間”聞き流す”ためには10000日(=5000÷0.5)、つまり約27年(=10000÷365)を要することになる。

(引用中断)

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私は、「売らんかな!」の宣伝文句が神話である他に、巧妙に隠された事実がもうひとつあると思う。

それは、これまた何度か述べたことですが、各学習者の頭に「学校で習ったり市販の教材で覚えたりしたこと」がそれなりの質・量で蓄積されているという事実です。

神話教材が人によってはある程度の効果を持つように思えるとしたら、その既知の知識を、手際よく音声に乗せることによって、少しだけ活性化させるからだと思われます。

しかし、その程度のささいな成果なら、神話教材を利用しなくても、いかようにでも達成することができます。

続く...

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「絶対必要な英単語6000語」について

「絶対必要な英単語6000語」を、(1/365)から、順に書き直すことにしました

タイトルは「絶対必要な英・語彙1万語」に改め、基準にするのは 『Cambridge Advanced Learner's Dictionary 第2版』 で重要語表示のある語彙約1万2千語です。

「アンチ・バベルの塔」を建てながら感じていたのですが、私の古いノートから転記した「絶対必要な英単語6000語(1~359/365)」の語彙は、最近のコーパスを基準にした重要語彙とは多少違うということです。

イディオムがまったく含まれていないし、the Internet などの語彙もありません。

ノート作成のソースにした辞書(別の部屋に埋もれているはず)はコーパス出現以前のものだったからでしょう。

基本語は変わらないし実際大部分は同じなのですが、やっぱり気になります。

この際、ソースを新しくして、書き直そうと思った次第です。

また、よろしくお願いします。

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『指輪物語』 を創作したトールキン教授(2)

スティーヴン・キングは、『スティーヴン・キング 小説作法(池 央耿 訳)』 で「道具箱(3段構成で1段目が語彙・文法で2段目が文体)」という章を設けて、作家に必要な要素を説明しています。

その「道具箱」に、『指輪物語』 に言及した部分があるので、引用しておきます(省略&太字 k.y.)↓。

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(引用開始)

・・・言葉は文章を生み、文章がパラグラフを作るパラグラフは何かをきっかけに励起して息づき始める。これは、実験台のフランケンシュタインに似ていないでもない。突如、稲妻が走る。空からではない。ささやかなパラグラフからである。それは、作家志望の無名氏がはじめて書いた読むに堪えるパラグラフかもしれない。危うげな壊れ物ながら、空恐ろしい可能性を秘めている。生命のない人体各部を寄せ集めて縫い合わせた異形のものが、黄色く潤んだ目をかっと見開いたときのヴィクトア・フランケンシュタインの驚愕もかくやと、無名氏は胸中で叫ぶ。これはしたり。こいつ、息をしている。物を考えてさえいるかもしれない。はてさて、これからどうしたものだろう。

 どうもこうもない。道具箱の三段目に移って、本格的に小説を書きはじめればいい。何を躊躇うことがあろう? 恐れることはない。そうではないか。大工は怪物を産みはしない。家を建て、店や銀行を造るのだ。一枚一枚、羽目板を釘付けし、一つ一つ、煉瓦を組んで建物を造る。作家は、語彙と、文法ならびに文体の基礎知識を素材に、一つずつパラグラフを積み上げる。正直一途に職人気質で丁寧な仕事をすれば、何だろうとできないものはない。体力があれば、広壮なマンションを建てることも夢ではない

 いったい、言葉のマンションを建てるだけの正当な理由があるだろうか? 私はあると思う。マーガレット・ミッチェルの 『風と共に去りぬ』 や、チャールズ・ディケンズの 『荒涼館』 を読めばそれは理解できるはずである。怪物も、場合によっては怪物ではない。時として、人はそのほれぼれする美しさに夢中になる。映画やテレビが逆立ちしてもこれにはおよばない千ページ読んでも、人は作者が作り出した世界を去り難く、そこに生きる架空の人物と別れるのは辛い。作品が二千ページなら、二千ページを読み終えても現実の世界に帰る気になれない。J・R・R・トールキンの『指輪物語』三部作などは、まさにその代表例である。ホビットたちの寓話譚千ページは、第2次世界大戦後、三世代にわたるファンタジー・ファンの欲求不満を煽った。鈍重な図体を持て余している飛行船のような続編 『シルマリル物語』 を読んでも、まだ渇きは癒されない。だからこそ、テリー・ブルックス、ピアス・アンソニー、ロバート・ジョーダン、『ウォーターシップ・ダウン』 の探究心に富むウサギたちを書いたリチャード・アダムズ、その他、数知れぬファンタジー作家が登場したのである。彼らは今もって自分たちの憧れであるホビットの後裔を生み出し、トールキン亡き後、グレー・ヘヴンからフロドやサムを呼び戻そうと務めている・・・

(引用終止)

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名匠・トールキン教授の「道具箱」の3段にはどんな道具が詰まっていたのでしょうか? 

中期・古期英語に精通していた教授。現代の英語とは ― 1000年以上も前からの構造も違い語彙も大いに異なる ― まったく別の世界。

そんな広大無辺で底知れない英語の森に棲んでいた名匠・トールキン教授。

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『指輪物語』 を創作したトールキン教授(1)

JRR TOLKIEN の 『The Lord Of The Rings (指輪物語)』 を知らない人、少なくとも聞いたことがない人はほとんどだれもいないと思います。

Sunday Times は ― 英語圏は 『The Lord of the Rings』 と 『The Hobbit』 を読んだ人とこれから読む人に2文分される ― と評しています。

私は、『The Lord of the Rings 』 は読みましたが 『 The Hobbit』 はまだ読んでいません。

『The Lord of the Rings 』 1000ページは速読などにはなじまない、そんなことをしてはもったいない書物でしょう。

私にとっては、決して易しい読み物ではなく、むしろ難解な、じっくり時間をかけて読まざるを得ない、しかし惹きつけられて飽きない、1000ページでした。

ひとことで言うなら ― 広大無辺で底知れない英語の森 ― 。

また、いつか(と思いながらもうだいぶ経ちますが)、2回、3回と読むつもりです。

『The Lord of the Rings』 は読書家の中でどんな位置を占める本なのか?

トールキン 「指輪物語」 を創った男 (マイケル・コーレン著・井辻朱美訳)』 という本の「はじめに」という前書を1部引用しておきます(省略&太字 k.y.)↓。

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(引用開始)

・・・二十世紀が終わるにあたって、英国のメジャーな新聞が読者にたいして、この一世紀でもっともすばらしい書物はなにか、という大々的なアンケート調査を行なった。その結果、人々のほんとうの関心があきらかになった。二万五千人以上の男女を対象とした調査で、堂々一位にかがやいたのは 『指輪物語』 だった。まさか、という反対意見が上がった。英米のさまざまな新聞や書店が、独自の調査を行ってみた。しかし、結果は同じだった。トールキンが勝利をおさめつづけた。

 英国で高い評価を持つ書籍協会は、自前の調査を試みることにし、こんどは歴史上のすべての時代を対象にした。書籍協会の五千人の会員はすじがねいりの読書家で、文学のなんたるかを知っており、単なる流行におもねるような人間ではない。だが、その選択はどうなったか。ジェイン・オースティンの 『高慢と偏見』 が健闘し、チャールズ・ディケンズの 『デイヴィッド・カッパーフィールド』 も善戦した。だが、ふたたび一位の名誉に輝いたのは、われらのトールキンと 『指輪物語』 だったのだ。

(引用終了)

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階段を登る・続

「アンチ・バベルの塔」は、いきなり標準サイズの語彙数の中級学習辞書やフルサイズの語彙数の上級学習辞書からスタートすると、塔建設・第1段階の「未知語彙のピックアップ」が、実は、「辞書の大部分転記」になってしまって、やがて時間的にも精神的にも耐えられない負担になって挫折してしまう。

だから、最初は、辞書暗記ではなくて市販の単語帳を、自分のやり方・「アンチ・バベルの塔」方式・パソコンソフトなどで、全部覚えてしまう、という手もあります。

ほとんどの人がこのやり方をしています。そして、それを1部の人たちはやり終えて / たいていの人は途中で挫折して、あとは他の単語帳をはしごしたり / 何もしなかったり / SSS多読法を採用したりして生涯を過ごします。

単語帳は、本のデザインはいろいろ違うが、どれも内容はほとんど同じで語彙数も低レヴェルで頭打ちになり、SSS多読法は、やってみればわかりますが、ボキャビル向きではありません。

だから、前回に書いた ― (F) 5000語、次に(E) 1万語、そして(D) 2万語、さらに(C) 3万語、できれば(B) 5万語、最後に、欲を言えば、ネイティヴであっても充分なレヴェル(A) 上級学習英英辞書 ― という階段を上るやり方は辞書暗記の他にはありません。

各レヴェルに内容の充実した辞書が存在し、はしごをする必要もないし、低レヴェルで頭打ちになることもないからです

そして、(F) からはじめたいがどの辞書から暗記したらよいのか分からないという人には、ずばり 『ジュニア・アンカー英和辞典』 をお勧めしたい。見出し語約7900、イディオム約1400の中学生用の辞書です。

各語彙の説明も分かりやすい。例えば、willing は ― (人が)・・・するのをいとわない、・・・してもかまわない;自発的な;(be willing to ・・・で)・・・するのをいとわない、喜んで・・・する(⇒「喜んで」とはいってもそうするのがうれしいという意味ではなく、「・・・する気がある」という感じ)。 I am willing to help you. 私はお手伝いいたします ― と記述されています。

本文は720ページだから、毎日2ページやれば1年間で終了です。まず「未知語のピックアップ」だけを済ませて2年目に「暗記を徹底」してもかまいません

実物をご覧になれば、1~2年費やす価値は充分にあることが分かるはず。

知っている語彙もいっぱいありますから挫折する懸念はたいへん小さいし、達成感はたいへん大きい。

ジュニア・アンカー英和辞典』を、音声も添えて、ちゃんとマスターすれば普通以上(英検準1級~1級)の実力がつきます。

「英和辞典」は間違いも多く信用できないなどという心配は無用です。もし難点があってもそんなものは後でいくらでも克服できます。そんなことより、しっかりした辞書を1冊覚えることのほうがよほど大事です。学習の達成感も辞書暗記の場合は格別です。720ページをそっくり自分のものにする意義は、他の単語帳をやることに比べたら、限りなく大きい。自信もつきます。「中学生の辞書などいまさらやってられない!」と思うなかれ! あなたは 『ジュニア・アンカー英和辞典』 に書いてあることの何パーセントを習得していると思いますか? 何パーセントを実際に活かす自信がありますか? 

「ほとんど知っているぞ」という方でもOKです。あなたは、辞書暗記に挫折する確率が極小です。ぜひ、 『ジュニア・アンカー英和辞典』 を暗記してみましょう。「未知語を確定してそれを徹底して暗記」してみましょう。そして、実際に口に出して / 書いて使ってみましょう。

実際にやってみないと充実感は味わえません。

そうすると次のレヴェルに移る自信も意欲もみなぎってくる。まず1冊覚えてしまうのが秘訣。中学生になって辞書をもらったときにことを思い出してください。その辞書を暗記できると思いましたか? そんなことは想像もしなかったはずです。今ならできる! 

また、『ジュニア・アンカー英和辞典』 だけでやめてしまっても、辞書を1冊暗記するのとしないのとでは大違い。しかし、それもやってみないと分からない。

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階段を登る

「アンチ・バベルの塔」は、学習用(英英)辞典から未知語をピックアップしてカードに転記しそれを覚えていく方法です。

その際に、先日覚えたばかりだとか、忘れたり思い出したりするとか、とにかく定着していない語彙はすべて未知語に相当します。

だから、「アンチ・バベルの塔」でいう未知語とは ① 見た覚えがない語彙 ② かつて覚えたことはあるが今は忘れてしまった語彙 ③ 覚え・理解があいまいな語彙 ④ 複数の意味の1部が未知の語彙 ⑤ 最近覚えたばかりの語彙(放置すればいずれ忘れる)の5種類に分かれます。

私の場合、 ① に属する語彙ではイディオム・スラングが多く、② が圧倒的に多くて、③ ④ もけっこうあり、⑤は常時存在する、という感じでした。

そして、「各レヴェルのアンチ・バベルの塔」を完成させるためには ① の語彙が続出しない語彙数の辞書を選ぶことが大事です。② ~ ⑤ の語彙は、すでに1回あるいは複数回暗記した経験があるために覚え易いのですが、① はやっぱり難関です。

① が続出するような辞書を選んでしまうと、「未知語のピックアップ」ではなくて「辞書の全転記」に近い作業になってしまってとてもじゃないが苦しくていずれ失敗してしまうでしょう。

だから、まず(F) 5000語、次に(E) 1万語、そして(D) 2万語、さらに(C) 3万語、できれば(B) 5万語、最後に、欲を言えば、ネイティヴであっても充分なレヴェル(A) 上級学習英英辞書という階段を登るのが安全なやり方。

各段階において ①~⑤ の「未知語をしっかりと確定して覚えること」が肝心。

普通 (C)または(D)までは達成したい。あとは、意欲と時間の有無。人生には他にすべきこともいっぱいあるから「時間」は絶対的な意味を持つ。時間がなければやむをえない。

併行して、塔の復習(必要時間数は徐々に減少する)・読書(辞書読みも含む)の習慣によって語彙レヴェルの維持・深化・応用力の強化を図る。

別にせかせかしているわけではありませんが、「暇をもてあます」ことなどあり得ません。

知的充実は知る人ぞ知る

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絶対必要な英単語6000語(360/365)

どこから始めてもかまいませんが、1/365 とか 2/365 とかいう番号だけはどこかに記入しておきましょう。どの部分をやったかあとで分からなくなるからです。

あれこれ覚え方を工夫する暇があるなら、とりあえず「アンチ・バベルの塔方式」で、ひとつでも単語を覚えた方が早いです。

知っていると思っていても、こんな超基本語にはいろいろな、あるいは、意外な意味があることが多いですから ― 時間がある人は ― この際ていねいにチェックした方がいいです。

いやになったら、やった分だけでも無駄にしたくないですから、復習だけすればいいですよ! 

なお、派生語 / 熟語 / 連語、その他関連語も辞書に記載がある限り、チェックしておきましょう。

さあ、今日の語彙です。

5872 White House

5873 whiten

5874 whitewash

5875 whither

5876 whittle

5877 whiz

5878 whole

5879 whole number

5880 wholesale

5881 wholesome

5882 whole-wheat

5883 wholly

5884 whoop

5885 whooping cough

5886 whooping crane

5887 why

5888 wick

5889 wicked

5890 wicker

5891 wide

5892 widen

5893 widespread

5894 widow

5895 widower

5896 width

5897 wield

5898 wife

5899 wig

5900 wiggle

5901 wigwam

5902 wild

5903 wildcat

5904 wilderness

5905 wildfire

5906 wildlife

5907 willful

5908 willing

5909 willow

もし知らない単語があれば英和辞典で調べて必ず―できるだけアンチ・バベルの塔方式で―覚えていきましょう。

超常識単語ですから、屁理屈をつけず無条件に覚えることが肝心です。

(番号等についてご注意ください: 注意はしますが、スペルや番号その他のミスをしてもチェックする時間がありませんのでご容赦ください。お手数ですがお知らせいただければ訂正いたします。)


バートランドラッセルの幸福論 その244

(下記のように区切りながら確認すると文章の構文がはっきりして文全体を覚えやすくなります)

But there is no department of practical politics where idealistic theories are strong enough to cause great changes; when great changes occur, the theories which justify them are always a camouflage for passion.
But there is no 部門 of 現実の政治 where 理想主義的な理論が充分に強力である to 引き起こす 大きな変化; when 大きな変化sが起こる、それらを正当化する理論s are 常にカモフラージュ for 情熱

( しかし、現実の政治のどの部門においても、理想主義的な理論が大変革を引き起こすほど強力なことはまったくない。大きな変革が起きるとき、それを正当化する理論は例外なく情熱を覆い隠す役割を果たしている )

続く.

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sd さんの「考察」と記憶という現象―心身問題 (1)

sd さん ( http://www.geocities.jp/yellowsubmarine0825/ ) が 「Ebbinghausの記憶実験と英単語ボキャビルの考察」という記事をご自身のブログに書かれています。

私は、sd さんの「記憶という現象をできるだけ客観的に記述」して各人の記憶に活かそうとされる意図はよく理解できるのですが、記憶はたいへんに奇妙な現象で定式化にはとうていなじまないのではないかという懸念が強くあります。

それで、「考察」を拝読してコメントをさせていただきたいと思いながら、自分の気持ちをどのようにまとめたらといのかわからないままにずいぶん日が経ってしまいました。

今、こうして書き始めたのは、やっぱり何か書いてコメントにかえさせていただこうか、そうすれば自分の思考も多少は彷徨をやめて方向を見出せるかもしれないし、と思ったからです。

ただ、どうやらとんでもなくとりとめのない話になりそうなので、興味のない方は、時間の浪費になってはいけないので、無視してください。

まず、もうだいぶ前から折に触れて考えていることなのですが、記憶に限らず一般に人間の精神活動が現行の科学的な分析の対象になり得るのかという疑問です。

最近盛んに脳科学が論じられていますが、あれははたして人間の精神活動の解明に関係しているのか否かという疑問です。隔靴掻痒(かっかそうよう)ではないのか?

心身関係は現行の科学分析の対象になり得るのかという不安です。

日経・2006年・2月4日・『NIKKEI プラス1』 の記事のなかに、営業コンサルタント・和田裕美さん(1967年生まれ)の話しが掲載されています(タイトル以外の太字k.y.)↓

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自然食品の効果信じる

七 - 八年前から、食べるものに気を使うようになりました。玄米や無農薬有機栽培の野菜を食べたり、青汁を飲んだりしています。きっかけは、人に誘われて自然食品の店に連れて行ってもらったこと。それ以来、食べ物を舌ではなく、頭で食べるようになったんです

 正直、無農薬の野菜を、そうだと知らずに食べても違いはわかりません。でも「これは無農薬なんですよ」と言われると、本当に甘みが違うように思える。水も、おいしい水と言われると、ほかと違うように感じる。すると、体にいい効果が出るんです。そういう思い込みの力ってすごいと思うんですよ。おかげで、このところ医者知らず。去年、家族みんなが食中毒になった時、私だけ平気でした。

 味覚も変わりました。スナック菓子とか生クリームなどの、どろっとしたものが欲しくなくなり、逆にこれまで嫌いだったトマトが好きになった。豆類も好物に。体にいいと言われると、おいしくなってくるんです。

 セミナーやコンサルティングなどで大勢の方にお会いすると、相手の立場でものを考えないといけないので疲れます。そういうときは一人で神社に行く。家の近くや、風水でこの方がいいと聞くと、その方向にある神社にいってお参りします。一人になって自分をニュートラルな状態に戻し、方角のパワーを信じてまた、がんばろう、とやる気が出るんです。

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私は、こんな話しを聞くと、プラシーボを想起します。プラシーボは、場合によってプラシーボではなくなり、真の医薬品と同様の効果を持つ。また、同じ薬でも、偉い医者に「これはよく効くよ!」と言われると想定外の効き目を発揮することがあるという。

和田さんは、そういう効果を疑わないばかりか自分でも積極的に活用して、実効をあげておられる。「そんなの気のせいでしょう」などと言って無視しない。

和田さんは、「日本ブリタニカで世界第2位の営業成績をあげて話題になった」という営業の達人である。その秘訣は、ひょっとしたら、心身間の機微を直感的に察知して営業に利用する資質を生来備えているからかもしれない。今のように意識はしていなかったが、従来からそういう能力があったのかもしれない。

私のこのブログでよく「心身は一体である」と述べてきました(根性論ではありません)。「そんなことあたりまえだよ」と言われるかもしれません。

しかし、それを意識して活用するとしないとではいろいろな面で大きな違いになると思います。何度も言いますが「そんなのできないに決まってる」と思ったとたんに可能性はゼロのなります

「できる」と思えばこそできるんでしょう。立ち幅跳びで「あそこまで飛べそうだ」と感じたら、稽古さえしたら、そこまで飛べるようになる。

さて、sd さんの「考察」に戻りますが、そんな心身の一体現象を定量的客観的に分析して記述できる能力が「現行の科学手法」にあるのでしょうか?

語彙を5万語暗記しようと決意」して(ダメだよと決め付けるとそれでもう終わりですが)、これから先その5万語を記憶する軌跡をあらかじめ予測できるのでしょうか

私は、「アンチ・バベルの塔」の塔主としての経験からしても、できないと思います。

E=mc² というような方程式が心身間に成立するのでしょうか?

しないと感じています。

数学者のペンローズは 『Shadows of the Mind 』 という著書(214ページ)で ― We - our bodies and our minds - are part of a universe that obeys, to an extraordinary accuracy, immensely subtle and broad-ranging mathematical laws. That our physical bodies are precisely constrained by these laws has become an accepted part of the modern scientific viewpoint. What about our minds? Many people find the suggestion deeply unsettling that our minds might also be constrained to act according to those same mathematical laws. Yet to have to draw a clean division between body and mind - the one being subject to the mathematical laws of physics and the other being allowed its own kind of freedom - would be unsettling in a different way. For our minds surely affect the ways in which our bodies act, and must also be influenced by the physical state of those same bodies. The very concept of a mind would appear to have little purpose if the mind were able to neither to have some influence on the physical body nor to be influenced by it. Moreover, if the mind is merely an 'epiphenomenon' - some specific, but passive, feature of the physical state of the brain - which is a byproduct of the body but which can have no influence back upon it, then this might seem to allow the mind just an impotent frustrated role. But if the mind were able to influence the body in ways that cause its body to act outside the constraints of the laws of physics, then this would disturb the accuracy of those purely physical scientific laws. It is thus difficult to entertain the entirely 'dualistic' view that the mind and the body obey totally independent kinds of law. Even if those physical laws that govern the action of the body allow for a freedom within which the mind may consistently affect its behaviour, then the particular nature of this freedom must itself be an important ingredient of those very physical laws. Whatever it is that controls or describes the mind must indeed be an integral part of the same grand scheme which governs, also, all the material attributes of our universe. ― と述べています。

Whatever it is that controls or describes the mind must indeed be an integral part of the same grand scheme which governs, also, all the material attributes of our universe. という記述に適う能力が現代科学にないとしたら、記憶を分析するツールはまだないことになる。

それにしても、Penrose 氏の英文は ― 鋭利な文体自体非常に参考になりますが ― なんとも魅力的な洞察に満ちています。

続く...

追記:参考にどうぞ → (ロジャー・ペンローズ+佐藤文隆) http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic025/html/100.html


 

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絶対必要な英単語6000語(359/365)

どこから始めてもかまいませんが、1/365 とか 2/365 とかいう番号だけはどこかに記入しておきましょう。どの部分をやったかあとで分からなくなるからです。

あれこれ覚え方を工夫する暇があるなら、とりあえず「アンチ・バベルの塔方式」で、ひとつでも単語を覚えた方が早いです。

知っていると思っていても、こんな超基本語にはいろいろな、あるいは、意外な意味があることが多いですから ― 時間がある人は ― この際ていねいにチェックした方がいいです。

いやになったら、やった分だけでも無駄にしたくないですから、復習だけすればいいですよ! 

なお、派生語 / 熟語 / 連語、その他関連語も辞書に記載がある限り、チェックしておきましょう。

さあ、今日の語彙です。

5848 whale

5849 wharf

5850 what

5851 whatever

5852 wheat

5853 wheel

5854 when

5855 whenever

5856 where

5857 whereabouts

5858 wherever

5859 whether

5860 which

5861 whichever

5862 while

5863 whine

5864 whip

5865 whirl

5866 whiskey

5867 whisper

5868 whistle

5869 white

5870 whitecap

5871 white flag

もし知らない単語があれば英和辞典で調べて必ず―できるだけアンチ・バベルの塔方式で―覚えていきましょう。

超常識単語ですから、屁理屈をつけず無条件に覚えることが肝心です。

(番号等についてご注意ください: 注意はしますが、スペルや番号その他のミスをしてもチェックする時間がありませんのでご容赦ください。お手数ですがお知らせいただければ訂正いたします。)


バートランドラッセルの幸福論 その243

(下記のように区切りながら確認すると文章の構文がはっきりして文全体を覚えやすくなります)

There is, it is true, an idealistic theory according to which democracy is the best form of government. I think myself that this theory is true.

在る、なるほど、理想主義的な理論 それによれば 民主主義は最良の統治形態である。私自身考える that この理論は真である

( なるほど、理想主義的な理論もあり、それによると民主主義は最良の統治形態である。私自身、その理論は正しいと思う )

続く.

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「才能」(29)続

私は、前回に ― 才能の大きな要素のひとつは「長時間にわたって時間を忘れること」かもしれませんね ― と書きました。

きのうある本を探して、何の本を探していたのか忘れてしまいましたが、本棚の前面の1列に並んだ本を除けて後の書列に視線が走ったときに Sylvia Nasar 著 『A Beautiful Mind 』 (ペーパバック)が目に留まりました。映画にもなった「天才数学者にしてノーベル賞受賞者・ John Nash」 の伝記です。裏表紙の裏に「2002年6月17日読了」と書いてあるから3年半ぶりの再開です。

特に印象深かった部分に、例のごとく、蛍光ペンでマークがしてあってそのなかに ― There is no way of knowing what enables one man to crack a big problem while another man, also brilliant, fails. Some geniuses have been sprinters who have solved problems quickly. Nash was a long-distance runner. If Nash defied von Neumann in his approach to the theory of games, he now took on the received wisdom of nearly a century. He went into a classical domain where everybody believed that they understood what was possible and not possible. "It took enormous courage to attack these problems,” said Paul Cohen, a mathematician at Stanford University and a Fields medalist. His tolerance for solitude, great confidence in his own tuition, indifference to criticism - all detectable at a young age but now prominent and impermeable features of his personality - served him well He was a hard worker by habit. He worked mostly at night in his MIT office - from ten in the evening until 3:00 A.M. - and on weekends as well, with, as one observer said, “no references but his own mind" and his "supreme self-confidence." Schwartz called it "the ability to continue punching the wall until the stone breaks."(翻訳&太字 k.y.: どういうわけか分からないが、同じ俊秀であっても難問を突破できる人とできない人がいる。また、短距離走者のようにすばやく問題を解く天才もいる。他方、Nash は長距離走者であった。ナッシュは ― おそらく von Neumann方式を拒否し ― ほぼ1世紀の伝統を持つ叡智に従ってゲームの理論に取り組んだ。つまり、何が可能で何が不可能かすべて了解済みであるはずの古典的な分野に分け入ったことになる。Paul Cohen (スタンフォード大学・数学者・フィールズ賞受賞)は、「蛮勇がなければできないことだった」と語っている。若いころからの ― 孤立に絶え、己の洞察力を確信し、批判には無関心 ― といった傾向は、今やずっと顕著で強固な資質となって、ナッシュの研究に大きく寄与していた。勤勉な性質(たち)で、たいてい夜の10時から午前3時までMITで研究し、週末も同じで、そばにいた人は「徹底して独想し、至高の自信を持っていた」と話している。Schwartz は そんな Nash の資質を 「石壁を砕けるまで打ち続ける能力」と形容している ) ― という1節がある。

Nash の思考は、もちろん、MITのオフィスにいる夜中に限られていたわけではなく、ほとんど間断なく続いていた。

Nash のような例をみると、「才能」とは時間など念頭にない猛烈な思考活動だとも言える。

『A Beautiful Mind 』 には ― Moser と言う人は Nash の資質を称して 「Just brute mental power = むき出しで残酷なまでの思考力」 と言った ― と書いてあります。

Nash は、その後、ひどい精神分裂症に苦しむことになります。代償も大きかったというべきでしょうか?

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チャンクについて・続

前回に:

「連語認識」あるいは「 chunk = 連語 (決まり文句)が言語の自然な運用に大きな役割を果たしているという自覚」が、日本の英語学習者にまだまだ弱い感じがします。

また、市販の単語帳は山ほどありますが連語の教材はずっと少ないし、スラングに至ってはほとんどない状態です。

リスニングのトレーニングに関しても、chunk = 連語 (決まり文句) の類推が決定的な役割を果たす場合も多いことを明確に指摘した教材は少ない。

発音やリエゾンその他の音声現象になれることも必須事項ですが、chunk = 連語 (決まり文句)の知識がないあるいは十分ではないために ― 音が聞こえないと ― とたんについていけなくなる事実にも注目すべきです。chunk = 連語 (決まり文句)に習熟していたら、聞こえない言葉でも瞬時に類推できることがあるわけですから楽です。

だから、「私達はいつも連語の知識による予測をしながら言葉によるコミュニケーションをとっているので、次になんという言葉が続くのかを容易に言い当てることができるのです」という事実をしっかり自覚して語彙強化に励む必要があります。

さらに、活用語彙を強化する際にも ― 語彙のレヴェルにかかわりなく ― この chunk = 連語 (決まり文句) を強く意識しなければなりません。

自然な英語を身につけるためには chunk = 連語 (決まり文句)の充実が欠かせない。

だから、当然のこと、「アンチ・バベルの塔」のかなりの部分も chunk = 連語 (決まり文句) で占められています。

と書きました。


chunk は学校ではほとんど学習しないし、入試・資格試験の勉強の範囲外でもあるために、教材も稀で学習する機会がない。

他方、ネイティヴ・スピーカーは日常の生活のなかであたりまえのように身に着け頻繁に使っている。

だから、チャンクは、特に日常の意思疎通のためには、なくてはならないものです。

そんなチャンクは、英和辞典より学習用英英辞典の方に数多く収録されていて、語義の説明・例文もこなれていると思います。

たとえば ( Oxford Advanced Learner's Dictionary より )

gone

1 ( of a thing ) used up:‘Where’s the coffee?’ ‘It’s all gone.’

2 ( of a person ) having left a place; away from a place:‘Is Tom here?’ ‘No, he was gone before I arrived’.

3 ( formal ) used to say that a particular situation no longer exists:The days are gone when you could leave your door unlocked at night.

4 (BrE, informal ) having been pregnant for the length of time mentioned: She’s seven months gone. How far gone are you?

チャンクは、「聞いたらさっと了解できて、自分でも適宜に使えるかどうか」がポイントですね。

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英語の語彙:雑談(29)広大な庭園の出来事

『イーディック英和・和英』より↓

lead someone up the garden pathだまして信じ込ます

英国には昔から木立に埋もれた広い庭園を持つ邸宅が多い。

そんな邸宅に招かれざる客が訪れて来たとき、玄関から家に通さず、愛想よく話しながら庭園の道 ( garden path ) へ案内した。

客が気づいたときは、いつの間にか外の出口というわけである。

そこから発展して、Phil led me up the garden path by pretending that he loved me.(フィルは愛しているような振りをして、私をだまして信じ込ませた)のように、比喩的に「だまして信じ込ます」の意になったもの。

The murderer led the police up the garden path by telling them that he had heard the murdered man threaten to commit suicide.(殺人者は、殺された男が、自殺すると言っているのを聞いたと言って警察をだまして信じ込ませた)。

I wouldn't believe what that guy tells you. He's only trying to lead you up the garden path.(あいつの言うことを信じないほうがいいよ。やつはきみをだまして信じ込ませようとしているだけだ)。

[言い換え]deceive someone

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コメントにお答えする(4/2006)

Liu さんへ

はじめまして、塔主のk.y.です。

まず、 Liu さんの愛情豊かなしかも確固たる原則に基づいた子育て(ブログも拝読しました)に敬意を表します。

こんな若いお母さんもおられるのだと思うとうれしくなります。「母は強し!」とも思います。

>性格に合っているのか、塔の作成も復習も楽しくやっております。なかなか時間が取れないのが悩みですが、この方法は、隙間時間の活用もでき、本当に素晴らしい方法だと感じています。

こんなふうなコメントをくださったかたははじめてですが、「アンチ・バベルの塔」の主要な機能のひとつに「隙間時間の活用」があります。

「アンチ・バベルの塔」方式には、特に復習に関して、どこにでも携帯できてどこからでもはじめられてどこで中断しても支障のない利点があります。

> このやり方で下の子が幼稚園に入るあと3年ぐらいの間には、5万語習得をめざしたいと思っています。それまで、ご教示のほど、よろしくお願いいたします。

これはすごいことです。年数が6年になっても10年になっても充分にすばらしいことです。こちらこそ、いろいろと、よろしくご教示ください。

> さて、本題ですが、私は上の子には生後すぐから(正しくは胎教より)英語育児をしております。

> 多々異論があるのは知っておりますが、私は英語をやること、やらないことを天秤にかけ、やることを選択しました。

> 生半可な知識と方法でやると弊害が出ることも見聞きしておりますが、今のところ、早くから始めておいてよかった、と思っています。

> 以前、こちらのブログで紹介されていた、帰国子女ではないけれど中一で英検に合格された少女とそのお母様は、英語育児をやっている母親の間では有名な親子です。

> このお母様も、早くからやれば子供は努力も苦労もすることなく英語を身につけられる、とおっしゃっています。(お母様は、ご努力なさったことと思いますが)

実績は何にもまして説得力があります。「ことばの習得も含めた精神活動」はまだまだ未解明のままです。今の科学の方法で解明可能だとも思えません。

だから、どんなやりかたがいいのか定説はないと言えます。外国語の習得法も実績だけがものをいう分野でしょう。

たとえば「七田慎」氏の「超右脳学習法」についても諸説紛々です。七田式学習法を今の科学で実証することは不可能ですが、だからと言ってそれがインチキだとも言えません。「七田氏は特殊な能力の持ち主だ」という専門家もいます。私も「特殊な能力説」に加担したい。そしてその特殊な能力は、人間の能力に違いない限り、他の人も習得できる能力かもしれない。七田式学習法で中学1年生が英検1級に合格したとすればそれは確かな実績になる。何の実証もないアイデアに比較すればずっと迫力がある。

Liu さんのやりかたも、既に効果をあげているのであれば、正しい方法でしょう。あるいはお母さんのひたむきな気持ちがお子さんに伝わって効果をあげているのかもしれません。いずれにしても子どもさんの発達にプラスの効果を挙げていることは確かでしょう。

また、Liu さんは日本語の大切さも充分認識したうえでお子さんの英語教育をなさっている。他人任せでもないし英語至上主義でももちろんない。いろいろな方と熱心に情報交換もなさっている。

そんなもろもろのことを考慮すれば liu さんの英語教育法が中島先生が批判されているような英語教育法ではないことは明らかです。

しかも、親子で楽しく熱心に学習を進めるうちに ― その活動自体が親子の交流を深めているという利点もありますが ― どんなさらなる妙案が浮かぶかもしれません。お母さんの英語だって伸びるはずです。

> 母国語の大切さは言うまでもありませんが、英語の必要性もどんどん大きくなっている今、日本人が英語をもう少しラクに習得できる方法として、幼児期の英語教育をもっと重視した方がいいのではないかと思っています。

私も、Liu さんのようなしっかりした認識と方法論と実践に依拠した教育(極めて稀でしょう)であるなら、まったく異論はありません。

私が批判したいのは、そんな認識も方法論も実践も欠く英語至上主義なのです

> 一概に「幼児期の英語=悪」とばかり言えない・・・

おっしゃるとおりだと思います

これからもどうぞよろしくお願いします。

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英語習得と日本語の役割:続続(3)

名古屋外国語大学教授・中島和子さんが、日経夕刊(2006年1月28日)の「生活ファミリー・英語で子育て」のコラムで「成果長い目で考えて まず日本語しっかり」という話しをされています。

中島先生の、ご自身の研究成果も踏まえた示唆に富む発言は、ぜひ記録しておきたい内容なので、日経記者の前書きも含めて転記しておきます(太字k.y.)。

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(転記再開)

 むしろ小学校高学年ぐらいのほうが、海外や外国人への興味・関心が高まる。日本語が一定水準に達し、自分のアイデンティティーもしっかり確立している。この時期の海外旅行は、視野を広げ、学習意欲を高める大きなチャンスだ

 語学は継続こそ大切なことは、英語とフランス語の二つの公用語があるカナダの取り組みからも明らかだ。国の一体感を維持するため、少数派であるフランス語の教育に力を入れており、一部の学校で「イマージョン教育」が行われている。

 イマージョンとは「その言葉の環境にトータルに浸る」という意味。この方式をとる学校では、例えば小学校一年生はすべての授業をフランス語で行い、学年が上がるに従い、英語で教える内容を増やしていく。そうやって長期間にわたり、数千時間のフランス語に接する状況を作るのだ

 これに対し日本では、家庭での英語教育は盛んな一方、日本で小学校に入ると総合学習の時間で少し触れるだけで、なかなか継続的に学びにくい環境にある。それでも語学を学ぶことは視野を広げ、自分とは違う文化に寛容になり、思考をより柔軟にする道にもつながる。

 子どもに真に英語を身につけさせたいなら、英語の歌を歌った、あいさつができた、といった目の前のことを目標にすべきではない。「二十歳ごろまでに」を目標に、高校時代と大学時代の二回の留学なども組み合わせ、長期的に取り組む必要があることを親は知っておくべきだろう

(転記完了)

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中島先生の主張は、最後の「20歳ぐらいまでを目標に留学も含めて長期的に取り組む必要がある」ということばに収斂していると思います。

この20年という期間は、ネイティヴスピーカーが母国語をほぼ完成させる期間でもあります。日本人なら日本語、たとえばアメリカ人なら英語を完成させる総時間数が20年。毎日11時間各人の母国語に触れると仮定すると約8万時間になります。

その8万時間のうち、2万時間(つまり赤ちゃんから6歳ぐらいまで)はもっぱら「音声・身体表現・会話の仕方・応用自在の基礎文法・基礎語彙(約1万語)の習得など」に費やされます。

日本に住んでいて2万時間も余裕があるはずのない日本人の幼児が習得できるのは、幼児の適性も考慮に入れて、「音声・身体表現・会話の仕方・応用自在の基礎文法・基礎語彙の習得など」のうち「音声」に限られると思います。

どんな形でも、それこそ楽しい方法で、英語の音声に親しませてあげるのがいいでしょう。手段として、あいさつであり歌であり短文であってももかまわない。

日本語が一定水準に達し、自分のアイデンティティーもしっかり確立してくる小学校高学年のこども」ならもっと高度な学習が可能になるはずですから、各児童の適性や学習可能時間数に応じて妥当な学習法を探り実行すればいいと考えます。

もちろん、英語などまったく無視してもかまわない。日本語がしっかりしていて、本人に英語が必要だという自覚が生じたら、数年間のスタートの遅れなど ― 実際の学習時間数からすればたいした遅れではないので ― やりかたによって半年~1年で一挙に取り戻す可能性は充分にあります

そして、何度も繰り返しますが、日本語の充実がまず大事です。日本語が貧しいと英語もなおのこと貧しくなります。見えるものも見えなくなる。視力 が 0.5の場合に理解できる世界、1.0の場合の世界、 2.0 の場合の世界が格段に違うのと同じです。いや、言葉の場合、そんな格差はもっともっと大きいでしょう。

ただし、本人はそんな格差にほとんど気づかない。

また、「気づかなくてもかまわない」とも言えます。そんなことは人の価値や幸福度、また金儲けにもほとんど関係がないからです。

私は若いころに気づいてしまった

だから、日本語も英語も ― もちろん自分なりにという大きな限界はありますが ― もっともっと磨きたい

「アンチ・バベルの塔」もそんな営為の一環です。


 

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英語習得と日本語の役割:続続(2)

名古屋外国語大学教授・中島和子さんが、日経夕刊(2006年1月28日)の「生活ファミリー・英語で子育て」のコラムで「成果長い目で考えて まず日本語しっかり」という話しをされています。

中島先生の、ご自身の研究成果も踏まえた示唆に富む発言は、ぜひ記録しておきたい内容なので、日経記者の前書きも含めて転記しておきます(太字k.y.)。

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(転記再開)

 もちろん、赤ちゃんのころから英語に触れることに意味がない訳ではない。いろいろな音を聞き分ける力は、小さいころほど強い。CDで英語の歌を親子で一緒に聞いたり、などは積極的に取り組んでもいいことだろう。日本語の絵本の読み聞かせや親子の会話を十分にやった上で、付加的に英語もやるという方法だ

 その際は親がネイティブでない限り、教材などを使い、きちんとした英語を聞かせてほしい。大人は言葉の多少の違いにも寛容だが、子供は残酷なまでに敏感。わずかなニュアンスを感じ取るのか、私自身、英語が母国語の子どもに、ぷいと横を向かれた経験は少なくない

 発音はもちろんイントネーション、表情、ジェスチャーもすべて、言葉の一部。バイリンガルの子どもにシンデレラを読んでもらうと、英語と日本語とで、まったく違う読み方をする。特に小さい子ほど、言葉以外の部分が意思伝達に果たす役割は大きい。子どもが「英語」の世界を全体で受け取れるよう、ビデオを活用するのも一手だろう。

 子どもが少し大きくなり、集団遊びができるようになったら、英語教室もいいだろう。海外旅行に連れて行く人も多いだろうが、小学校低学年までの子どもは「外国」「違う言葉」をあまり意識しておらず、親が期待するほど吸収はしない。「米国はどうだった?」と小一の子に聞いたら、「おせんべいがなかった」と言われたこともある。

(転記中断)

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子どもが音声面で大人よりずっと大きな可能性を秘めていることは明らかなようです。だから、環境によっては、そういう可能性を活かす教育があってもよいと思います。

ただ、充分な環境も整わないのにカリキュラムだけこなすような授業ならないほうがましでしょう。その分もっと国語の教育にあててほしい。中島先生もおっしゃるように「一つの言葉に強い子は別の言葉にも強い」。まず、日本語の充実が先です。

また、幼児なら、お母さんと喋るのが一番うれしいはずです。お母さんと会話しながらあるいは本を読んでもらいながらどんどん脳も発達する。そんな時期に、英語など、実は、どうでもいいのだと思います。

続く...

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英語の語彙:雑談(28)

最も神聖な場所

研究社Online Dictionary (c) Kenkyusha Ltd. 2004.より↓

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the holy of holies

(1) (ユダヤ神殿の)至聖所, 奥の院《神の契約の箱が置いてある》.

(2) 最も神聖な場所, めったに他人を入れない室.

OE; 原義は「犯されていない, 完全な」; cf. heal, whole

【類義語】

holy 宗教に関する, あるいは宗教的に深く尊敬されている.

sacred profane に対する語で, 神や崇高な目的などのために, あがめられ不可侵なものと考えられている.

divine 神の性質を持った, 神から授った; しばしば human に対比して用いられる.

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私にとって優れた辞書は the holy of holies のひとつです。

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英語習得と日本語の役割:続続(1)

名古屋外国語大学教授・中島和子さんが、日経夕刊(2006年1月28日)の「生活ファミリー・英語で子育て」のコラムで「成果長い目で考えて まず日本語しっかり」という話しをされています。

中島先生の、ご自身の研究成果も踏まえた示唆に富む発言は、ぜひ記録しておきたい内容なので、日経記者の前書きも含めて転記しておきます(太字k.y.)。

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(転記開始)

 今や英語教室に通う幼児は七人に一人。親の期待は高まるばかりだ。ただ、やり方によっては、子供の成長を阻害してしまう危険性もある。「バイリンガル教育の方法」などの著書がある中島和子名古屋外国語大学教授は、「まずは日本語をしっかり身につけることこそ大事」と話す。英語子育てのポイントを聞いた。

 最近は、小学校に入る前の未就学児の間でも、英語が大変なブーム。「自分は英語が苦手だった」「子供には苦労はさせたくない」という親の気持ちも、よく分かる。ただ、朝起きたときから夜寝るまで一日中、親が英語で話しかけたり、英語の教材ばかり使ったり、というケースを聞くと、首を傾げざるを得ない。
 
 まず、最初に指摘したいのは「小さな子は簡単に英語を覚える」、では決してないことだ。トロントの現地校に入った子供が、現地の子供と遜色(そんしょく)ない読解力を身につけるのにどれくらい期間がかかったか、二回調査(延べ約四百三十人)したことがあるが、最も時間がかかるのは三歳以下で来た子供たち。七~九歳や十~十二歳の子のほうが、ずっと進歩が早かった

 子供が英語を学ぶ何よりの近道は、実はしっかりした日本語を身につけることだ。私の研究では言葉には共通の根っこがあり、一つの言葉に強い子は別の言葉にも強い。特に聞く・話すだけでなく、読み書きの基礎ができてからだと、もっとも別の言葉をしっかり学びやすい。親が早くから与えすぎると、英語も日本語も中途半端になってしまう危険性がある。

(転記中断)

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先生が子供の英語教育について話されていることは、私が日ごろ考えていることとそっくり同じですが、先生は自らの調査研究に基づいて発言されているわけですから説得力があります。

私は日本語の方言と標準語についても似たようなことを考えています。子供は自分が生まれ育つ地域のことばをしっかり身に着けたほうが人間味も豊かな優れた子に育つと思っています。親が自分自身も身についていない不自然な標準語で子供を育てようとするとあまりおもしろい子に育たないのではないか。方言こそ心のふるさとでありオアシスです

ましてや日本語をさしおいて英語(それもしばしばまことに拙い英語)を無理強いするなどとんでもないことだと思います。関西人ならまず関西弁それも地元の関西弁が何よりも大事です。まず関西弁を習得する。地元の関西弁(生活の言葉)→標準語(教育を受け論理的に考える言葉)というプロセスが自然で、親の下手な標準語を生活の言葉にしてしまったら子供が思いのたけを口にできることばの力を弱めてしまう。それは頭の発達にも悪影響を与えます。

続く...

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