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ドナルド・キーン(1)

現代人・古典語・母語・外国語

ドナルド・キーンさんは、自著の 『日本を理解するまで』 で古典語の学習について ―

・・・現代人にとって、ラテン語は不必要であるという考え方が一部にあるが、過去のイギリス人の優れた文体とか豊富な語彙は明らかにラテン語の影響によるという認識を私は持っている。ウェイリーさん(k.y.注:ウェイリーは『源氏物語』をはじめて英訳した外国人)の時代のように、ラテン語も他の言語もふだんから勉強していれば、優れた英文を自然に覚えられたわけだが、私たちの世代となると、よほど努力しない限り、文章を書けなくなっているのではなかろうか。

 日本における漢文の勉強だって同様である。かつての日本の知識階級はこぞって漢文を習得し、ためにことばも豊富だったし、文体も今のそれとはかなり違っていた。たとえば森鴎外の文体には、明らかに漢文に追うところがある。

 また私は過渡期の日本文学者の一人に過ぎないが、それでも古典から現代までのあらゆる文学作品に貪欲だった。何もかも読みたいという意欲に燃えていた。しかし、ウェイリーさん時代の人たちに逆立ちしてもかなわないのはなぜか。残念ながら、私たちは彼らと違って文学を生きたとは言えないのだ。さらに私たちの後輩となると、また変わっていく。多分、彼らの形式は、やがて外国人による日本研究のパターンとして定着するのかもしれない。

 私の世代やウェイリーさんの世代と、どう違うか。彼らがいかなる研究をするかはともかく、もっと専門的に特定の問題について深く究明できるようになるのではないかと思う。つまり、日本の国語学者や国文学者と同じように研究できるだろう。現在、私の教え子たちは、二十歳前後で日本に留学すると、日本人と同じ教室で講義を聴き、日本人と一緒に働いたり遊んだりして、日本語を完全にマスターすることができる。その代り、ラテン語に象徴されるようなヨーロッパの教養を充分に勉強できないから、西洋文化についての知識はかなりおろそかになる恐れがある。特に、母国語の英文が充分に洗練されないで終わる可能性があるのではないか・・・

― と書いておられます(省略 k.y.)

キーンさんが日本語を学びはじめたのは大学生になってからです。そして、キーンさんの日本文学・文化に対する造詣の深さや日本語のすばらしさの土台にあるのは欧米の文学・文化・言語に関する豊かな教養です。

キーンさんは、現在読売新聞に連載中の 『私と20世紀のクロニクル』 の第5回目で ― 最近では古典的名著を重要視することは時に軽蔑の対象となりがちだが・・・今でも私は、たとえば近松の悲劇について講義する場合、自分の手引きとしてアリストテレスの「詩学」を使い、何が普遍的で何が日本の芝居に特有のものかを説明する傾向がある・・・― と述べておられる(翻訳:角地幸雄氏・省略 k.y.)。

話はちょっと飛躍するが、私は小学校で「チーチーパッパ英語」の授業を取り入れるのに反対です。そんな時間があるならもっと国語=日本語の授業を増やし充実せて欲しい。

小さいころから英語の音に慣れるというメリットは確かにありますが、いったい何%の授業が正確な発音やリズムを児童に練習させることができるのか、はなはだ心もとないと思います。

そんなことをしている暇があるなら、ちゃんとした英語の音声練習もできないなら、たとえば漢字をもっと教えてあげて欲しい。嫌がらずに懸命に漢字を覚えようとする子もいっぱいいます。難しい字もどんどん覚える子もいます。

そんな子供達の日本語の勉強時間が「チーチーパッパ」のために少しでも失われるとしたら、その分彼らの日本語が痩せていくとしたら、本人も周囲もそれに気づかずに大人になるとしたら、やっぱり悲劇です。

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