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英語学習・放談(2)

読書のスピード

ものを読むスピードについてたまに考えることがある。

それは、英語の読書論に触れる場合だ、

普段は読むスピードのことなど何も考えずに読んでいる。

ほんとうに急いでいるときは、猛スピードで読む。自然にそうなってる。

時間があってややこしい本を読んでいるときはゆっくり読む。自然にそうなってる。

かんたんな本なら本屋さんの店頭で目次を拾い読みするだけで何が書いてあるかわかる。

つまり、1分間に100語だ、200語だ、いや300語だなどというのは結果論に過ぎない。時計片手に読む速度を測るなど、実際は、だれもしない。自在に、無意識のうちに、車のアクセル操作のごとく、スピード調整が行われている。

ところが、英語となると「ゆっくり読んだらいけない」というような雰囲気が1部にある。分からなくてもある場所を行きつ戻りつしてはいけないというような雰囲気が1部にある。初心者ほど速く読むべきだと、分からなくてもとにかく速く読むべきだというような雰囲気が1部にある。

そんなばかな話はないでしょう。日本語を読むときは必要に応じてスピード調整が、当然に、行われているのに、英語になると「ゆきつもどりつしてゆっくり読んでいてはいつまでたっても読めるようにはならないから、日本語で意味などあまり考えずどんどん読みなさい(=意味など分からなくてもかまわない)」という暴論がまことしやかに跋扈する!

分からなければゆっくり読んだらいい。構文や語彙が充分に習得できたらいやでも早くなる。知らないうちに、速くなる、いや、自然で無意識な調整が可能になる。

英語のネイティヴ・スピーカーで高度な読書家でも、たとえば 『The Decline and Fall of the Roman Empire』 を速読しますか? しません。ゆきつもどりつ、ゆっくり意味を吟味しながら、時には数章前に戻って読み直したりもしながら、読んでいく。ひとつの文章を何回も読むことだってある。

「分からなくてもとにかく速くたくさん読めばその内に読書力も語彙力もつく」というような神話を信じて生涯を過ごしたら、それは隔靴掻痒(かっかそうよう)の人生、しびれた舌のまま食べ物を食すような人生になる。

鈍感が常となり習いとなってもはや鈍感を鈍感とは感じなくなって過ごす人生である。

わざと速く読んだりゆっくり読んだりするのではない。なかば無意識で自在な調整があってこそ真の読書なのです。

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