« March 2006 | Main | May 2006 »

学習用英英辞典とネイティヴ用英英辞典(1)

①学習用の辞書と②ネイティヴ用の辞書はまったく異なる。

「アンチ・バベルの塔」で暗記の対象にするのはあくまで①であって②ではない

ところが、①と②を混同しているあるいは区別していない人が案外多いようである。

「広辞苑」を暗記する人などいないでしょうといって辞書暗記に反対する人たちは、前にも述べたように、①と②をまったく区別していない。広辞苑は②の辞書だということに気づいていない。

日本(語)には①に属する辞書がないから、辞書だときくと②の辞書しか頭に浮かばないからだろうと思う。

①と②はどのように違うのか、典型的な例として英英辞典の場合を念頭において、検討してみよう。

(1) まず掲載されている語彙数が、①は②に比較して圧倒的に少ない。①は現在普通に用いられている語彙だけを掲載しているのに対して②にそんな制限はいっさいない。この点については以前から何度も言及しているのでここでは触れない。

(2) ①の場合各語彙の定義に用いられる語彙数は2000~3000語に制限されているが、②の場合そんな制限はない。したがって、①と②では、各語彙の定義の仕方がまったく違う。

(3) ①にはいくつかの役割があって、そのひとつは、非ネイティヴ・スピーカーの学習者が②を使えるように準備するという役割である。つまり、①は、ネイティヴ・スピーカーにとっては、本来の意味での辞書ではない。

続く...


| | Comments (1) | TrackBack (0)

2重言語生活

私は今年になって数日かけて書斎の大整理を敢行した。

その際に和書と洋書を別々の書棚に並べた。

その整理がすんだ後で書棚を見ると、日本語の本と英語の本がほぼ半分ずつになっている。しょっちゅう本屋に足を運んで、あるいは(アマゾン書店ができてからは)オンラインで、興味の向くままに買い続けてきた日本語の本と英語の本の冊数が半ばしていた。

登録してあるオンラインの新聞や雑誌も和洋拮抗している。

だから、読み物に関する限り、2重言語生活を送ってきたことになる。最近、on Itunes などで聴くプログラムは英語の方が圧倒的に多い。

そんな状況のなかで、5万語超の語彙が必要であることを痛感し、「アンチ・バベルの塔」を建てるに至ったと言える。

2重言語生活をはるかに深く徹底している人たちもいる。徹底せざるを得ない人たちと言ったほうがいいのかもしれない。

東京外国語大学教授・水林章さんもそのひとり。フランスの文学・思想・文化の研究者である。

水林教授は、『季刊 本とコンピュータ 第2期10号』に「二重言語生活」という記事を書いておられる。以下は、その要約(太字・省略 k.y.)である↓

------------------------------

フランス語は、大学に入ったとき(18歳)に初めて接触し、当初は巨大な異物であった。以来、30年を超えるつきあいで、日本語だけを話していた時間より日・仏両語を使っている時間の方がはるかに長くなった。その間、努力を続けるうちに、フランス語に対する距離感が消滅した。伴侶がフランス人で娘は日・仏のバイリングアル。したがって、フランス語は、仕事の言語であるにとどまらず生活の言語でもある。そんな状況下、『「日本」にも「フランス」にも安住し得ない本質的に異邦人的な存在に変容したのではないか・・・いくぶん難民化した人間なのではないかと。ふとそんなふうに思うことがある』

------------------------------

私は、この水林先生の記事を読んで、その哲学的とも言える感慨は別にして、「外国語習得」における学習時間の重要性(いつものことながら)を強く感じた。


まったく、あるいは、少ししか外国語が身につかないとしたら、その最大の原因は「その言語に接している時間数の絶望的な不足」であることは、明らかでしょう。

非常に長期間「2重言語生活」をする必要があるということでしょう。

ところで、私は異邦人にはなりたくない。今のままで、読書を日・英両語で楽しめるだけで、充分である。

先日、妻と2人して、最近買った車の試乗もかねて、姫路城へ花見に行ってきた。「城と桜」を満喫した。「桜の花をただの花とは思えない日本人であること」をほんとうに幸せだと思った。

追記:本文とは異なる話題だが、こんな(http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=5350362)驚嘆すべき記憶力の持ち主は世界に数人もいないかもしれない。しかし、変人奇人の業でもないし、特定分野に偏った記憶力でもないし、記憶力だけ突出したサヴァンの例でもない。ごく普通の生活をしていながら、何十年にもわたる日常の雑事や社会的な事件などを日・時単位で克明に記憶している。もちろん、ペテンでも奇術でもなんでもない。神経科学の権威が、長期にわたって注意深く観察した結果、真正な記憶力であることを確認している。稀なうえにも稀な事例とはいえ、同じ人間が、精神的にも健常な状態で、決して若くはない年齢で、これほど強力な記憶力を持ち得る事実は人間の底知れない能力を示していて興味が尽きない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

現実的な語彙強化(21)

「現実的な語彙強化」というシリーズですが、今回は、「現実的な英語学習」ということにします。

『文芸春秋』の今月号(2006年5月号)に、京都大学教授の中西輝政さんが「小学生に英語教育は必要か」という記事を書いておられるのですが、その中に ― 私の現在の「英語力」の核になっているのは、やはり中学・高校時代に受験勉強のために仕方なくやった「クソ勉強」のお陰であるし、二十代に留学したイギリスでの、同じくあの砂を噛むような「クソ勉強」だったように思う・・・語学の勉強には「クソ勉強」以外にはない、ということが、もうそろそろ国民的常識になってよいころだと思うのであるが・・・「楽しく学ぶ○○語」のスローガンが・・・日本人を惑わせ続けているように思う。「楽しく学ぶ」であれば、効果は期待しない方がよいし、それでも時間の無駄と思わない人だけが、情操教育とか「教養」に一つとしてやる、これが今日、英語教育をめぐる論議における出発点として、まず確認しておくべきことだと思う・・・これまで長年にわたり日本語を学ぶ欧米人に接してきたが、やはり彼らも「クソ勉強」以外に上達はできないことを数多く見てきた。要するに、両方の言語の間にある、とんでもないほど隔たった「言語の谷間」を超えようとするのだから、日本人であれ欧米人であれ「涙なし」では超えられないことは自明のことなのである(省略・太字k.y.) ― という一節があります。

中西さんの専門である外交その他に関する言説には独断に過ぎると思われるものもあって時に合点がいかないこともありますが、こと英語学習については、私の場合は砂を噛んだりするほど無味乾燥なものでは決してありませんが、おっしゃるとおりだと思います。「いわゆる楽しい」やりかたは、極めて低いレヴェルで満足する場合を除いて、効果がないことは明らかです。「お稽古事」を超えるレヴェルを目標とするのであればまったく効果はない。「いわゆる楽しい多読」など児戯(じぎ)に等しい。

ただし、低いレヴェルを低いと思わない・気づかない方もおられますから、それはそれでひとつの事実として受け入れなければならないし、そんな方のことを云々するべきでもありません。人それぞれ価値観も何もかも違うわけですから干渉する権利など皆無です。また、そんな人たちから見たら「アンチ・バベルの塔」など「オタク」そのもので何の価値もないものかもしれません。私は、学問であれスポーツであれ何であれ、オタクにあらずしてある程度以上は何もできないと考えていますからまったく立場が違います。いわば水と油ですが、両方あるいはその中間の人も含めて厳然と存在します。すべて事実です。互いに説得しようなどとは思わずわが道を行くのが精神衛生上もよろしいようです。

さて、私は中西さんの見解に砂を噛むこと意外に異論はないわけですが、書店その他の英語学習コーナーは「楽しい教材」であふれています。

中高の英語教科書も楽しい会話でいっぱいです。

習う語彙も激減しています。

おまけに小学校で「チーチーパッパ英語」を教えるという! 

私は、そんな現状がいいとは思いません。

上達したいのなら「クソ勉強」は避けて通れない、それをまず認識すべきでしょう

| | Comments (0) | TrackBack (0)

読書とボキャビルその他

英語の読書やボキャビルに関する問題点(だと私が考えるもの)

① 必要語彙数に関する誤解があること。英語の必要語彙数は母語の日本語の語彙数(5万語前後)の数分の1で充分であるという誤解があること。

総語彙数として「学習(英英)辞典」ベースで総語彙数10万語(見出し語彙数ではない)は当たり前に必要な語彙数。できれば、「上級学習(英英)辞典」の総語彙数(15~20万語)を目標としたい。

② SSS多読などで用いられる「多読」とネイティヴ・スピーカーがいう「多読」を混同する誤解があること。ネイティヴ・スピーカーが多読という場合、年間数10冊~100冊あるいはそれ以上の読書量を意味します。生涯に読む冊数は数千冊になり、特に多い人は1万冊を超えます。また、分からないところはどんどんすっ飛ばして読むような行為をネイティヴ・スピーカーは読書だとは思わないしそんなこともしません。

また、ネイティヴ・スピーカーの場合は、教育途上で要求される読書量だけでも日本の英語学習者とは桁違いです。

③ SSS多読法などでボキャビルを兼ねている人たちは、明確な必要語彙数を認識していないし、何冊読めば(あるいは何時間費やせば)どれだけの語彙を獲得できるのかという計算もまったくしないこと。目標語彙数の設定やその目標達成に必要な時間数の計算のないボキャビルは目標も終わりもない旅です。読書に終わりはありませんが、ボキャビルには終わりがあります。意識的なボキャビルは一般常識として必要な語彙の獲得で終わりになります。その後は、英語を読んだり聴いたりしながら、日本語の語彙が増えるごとく英語の語彙も増えていきます。

④ ネイティヴ・スピーカーのボキャビルと英語学習者のボキャビルを混同する誤解があること。ネイティヴ・スピーカーでボキャビルをするような人の語彙数はボキャビルを開始する時点で、少なく見積もっても、既に3万語を超えています。ところが、日本人が英語のボキャビルをする場合、その3万語に到達できることさえ極めて稀です。3万語からスタートするボキャビルとその3万語にさえはるかに届かないボキャビルはまったく異質です。

ネイティヴ用のボキャビル本を利用することは、1部の人たちにとっては賢明な方法ですが、それを完全に学習してもネイティヴと同様のボキャビル効果はありません。ネイティヴ・スピーカの場合は少なくとも3万語ぐらいのしっかりした土台があるのに対し、英語学習者はせいぜい1万語ぐらいのしかも非常に皮相的な知識しかないからです。

現実的とはいえない語源活用論も、ネイティヴ・スピーカーのボキャビルと英語学習者のボキャビルを混同する誤解の結果でしょう。

英語の語彙は、全体を100とすると、ゲルマン系が35、ロマンス系が55、その他が10の構成になっているが、使用頻度数でみると、ゲルマン系が85%に達すると言われています。ネイティヴ・スピーカーの場合は、ボキャビル開始時点で、そのゲルマン系語彙の習得は既に終了しているわけですから、ゲルマン系以外の語彙の語源を活用する威力は日本人に比較すればはるかに大きいでしょう。他方、日本人の場合は、学習辞書の活用で常識語彙の獲得に必要な程度の語源学習は充分可能です。

追記: flatpickerさん、 yamasinaさん、 muket さん、ていねいなおたよりありがとうございました。記事の続編などにつきましては、気の向いたときに書き継ぐつもりですのでその旨よろしくご了解ください。みなさんの語彙強化の進化・深化を心から願っています。これからも、よろしくお願いします。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

コメントにお答えする(6/2006)

Hiroさん、こんにちは。

詳細な記事をありがとうございました。

共感するところが多々ありました。志向するところが似ているのかもしれません。

5万語は常識だと感じるHiroさんのような方がもっと増えたら、日本人の英語学習もずいぶん変わるのになあと思います。5万語習得が現実に可能か否かは、各人の多様な状況に大きく左右されることですから、別にして、「5万語は普通に必要なのだ」という認識が広まることで英語学習に関するさまざまな誤解や神話が解消されるはずです。

そして、英語学習に対する態度がもっと現実的・具体的になるはずです。

常識である5万語に向けて、現時点で、自分はどこに位置しているのか? 自分の英語力はどの程度なのか? 英語力といわれるのに我慢できないなら、自分の語彙力は何合目あたりなのか? あとどれぐらいの時間をかけたらどのあたりまで行けるのか? それには何をどうすればいいのか? といったようなことがはっきり分かってくると思います。

今までのように、常識語彙数(=ボキャビルの究極目標)も分からず、したがって自分の位置もわからず、だから必要時間数の計算もできず、永遠に山の麓(ふもと)かせいぜい数合目あたりを行ったり来たりする、方向・目標・コンパスを欠いてなかば漂流しているだけの学習生活から開放されるはずです。

> 人によって若干アレンジが施されるの当たり前だと思ってます。

実に当然のことですね。

まず、Hiroさんは数種の辞書を冷静・独自に吟味して活用されています。これは、非常に大事なことだと考えます。

> 見出し語を(LADE)から抽出し、1)自分の記憶が不確かなもの、2)未知語 をピックアップするのですが、この選別がときに厄介なんです。

ほんとうにそうです。それがまた勉強になります。

> A4用紙にコピーすることで余白にさまざまな情報を捕捉できるので今はこの方法をずっと続けていこうと思ってます。

人生は余白(遊び)があってこそおもしろく印象深いものになるのでしょう。ただの空白だって意味がある。余白は、実は、余白にあらずです。

> 定義を読む、理解する、発音記号を頼りに何回も音読する(単語の複写はほとんどしません),例文を何度もよみ、単語のイメージを頭に定着させる。定義を暗記することにはこだわらないが、結果として覚えてしまうくらいの感覚。 抽象度の高い、イメージしにくい単語はODEなどのネイティブ用の辞書、画像辞書参照、徹底的に例文を通して理解、イメージできるまで取り組む。補足情報などがあればA4に印刷された沢山の余白にどんどん書き込んでいく。

何と贅沢で粋なこと。このまま進化していったら・・・・・楽しみです!

> 僕のペースは一週間で250words、A4用紙にしておおよそ40枚程度です。
「 一回目は 1) - 4) 特に発音、理解することを重点に時間にして8時間くらい、2回目は3)のプロセスだけだから、2時間くらい、3回目はもっと早くなって1時間くらい。」 これを定着サイクルとします・・・1セグメン(250words)が一ヶ月で一通り終了するようになってます。どの週も4つのセグメントを扱っていることになります・・・上記で述べた定着サイクル と つきの3回の復習をすれば、さらに一ヵ月後確認しても9割はきちんと頭に定着しています。

これはおもしろい。貴重な実証例(⇔ただのアイデア)です。

> この作業に要する時間としては今のところは18~21時間程度ですかね。一日英語に触れる時間が6,7時間だとして2,3時間は英単語の取り込みに費やされてます。

十分な時間配分。並でない取り組みであることがよく分かります。

> 進捗状況 昨年12月より開始、現在(4/28)にCの項目80%終了) CってSの次に大きな山ですよね。
登山者にとって最初の大きな壁です。

私の場合、塔以前は、たいてい3ヶ月3000語内外が大きな壁でした。壁の出現する態様は各人いろいろでしょうが必ずあるのではと思います。

きっかけは風邪・多忙・旅行・読書に没頭その他だったりしますが、これは口実。やっぱり、壁でしょう。真の問題は、その後にやめてしまうことです。壁に前進を阻まれてしまうわけです。

> ペースが遅いかなって思うときもありますが、重要なのは確実にものにしていくことで 他の人のペースはあまり気にしてません。

Hiro流でおおいに結構です。独自のペース進める幸せは他に変えがたし!

「感想」を拝見してもHiroさんはたいへんめぐまれた環境におられる。その環境を思う存分利用すべしです。

そして、何をどうしてどんな成果があったのか、ぜひ実証例を示して欲しい。それが、何よりも参考になります。充実している人をみるとやる気も出てきます。

> 本当の勝負はこれからで、その後はとにかく今以上にがんがん英語に触れていかないと塔はあっけなく崩れてしまうような気がします。そういう意味でアンチバベルの塔は あくまで英語で不自由なく言語活動をするためのスタートラインに立つためという位置づけです・・・僕にとって塔の建設は無機質な暗記作業ではありません、楽しいのか? と言われるとそれともちょっと異なりますが、楽しくないとも言えません。自分の目標に進む中での”戦友”という位置づけにしておきましょうか。

Absolutely !

> 最後に、「アンチ・バベルの塔」の暗記徹底作業 の終了ご苦労さまでした!

おおきに!

まだいつになるか分かりませんが、「書籍化」にむけてもがんばります。

また、たよりしてください。

Thank you.

k.y.

| | Comments (0) | TrackBack (0)

英語学習・放談(2)

読書のスピード

ものを読むスピードについてたまに考えることがある。

それは、英語の読書論に触れる場合だ、

普段は読むスピードのことなど何も考えずに読んでいる。

ほんとうに急いでいるときは、猛スピードで読む。自然にそうなってる。

時間があってややこしい本を読んでいるときはゆっくり読む。自然にそうなってる。

かんたんな本なら本屋さんの店頭で目次を拾い読みするだけで何が書いてあるかわかる。

つまり、1分間に100語だ、200語だ、いや300語だなどというのは結果論に過ぎない。時計片手に読む速度を測るなど、実際は、だれもしない。自在に、無意識のうちに、車のアクセル操作のごとく、スピード調整が行われている。

ところが、英語となると「ゆっくり読んだらいけない」というような雰囲気が1部にある。分からなくてもある場所を行きつ戻りつしてはいけないというような雰囲気が1部にある。初心者ほど速く読むべきだと、分からなくてもとにかく速く読むべきだというような雰囲気が1部にある。

そんなばかな話はないでしょう。日本語を読むときは必要に応じてスピード調整が、当然に、行われているのに、英語になると「ゆきつもどりつしてゆっくり読んでいてはいつまでたっても読めるようにはならないから、日本語で意味などあまり考えずどんどん読みなさい(=意味など分からなくてもかまわない)」という暴論がまことしやかに跋扈する!

分からなければゆっくり読んだらいい。構文や語彙が充分に習得できたらいやでも早くなる。知らないうちに、速くなる、いや、自然で無意識な調整が可能になる。

英語のネイティヴ・スピーカーで高度な読書家でも、たとえば 『The Decline and Fall of the Roman Empire』 を速読しますか? しません。ゆきつもどりつ、ゆっくり意味を吟味しながら、時には数章前に戻って読み直したりもしながら、読んでいく。ひとつの文章を何回も読むことだってある。

「分からなくてもとにかく速くたくさん読めばその内に読書力も語彙力もつく」というような神話を信じて生涯を過ごしたら、それは隔靴掻痒(かっかそうよう)の人生、しびれた舌のまま食べ物を食すような人生になる。

鈍感が常となり習いとなってもはや鈍感を鈍感とは感じなくなって過ごす人生である。

わざと速く読んだりゆっくり読んだりするのではない。なかば無意識で自在な調整があってこそ真の読書なのです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

英語学習・放談(1)

最近は、インターネットなどの発達で、ありとあらゆる英語に接することが可能になった。

従来は「生の英語」などという表現をよく見聞きした。

普通の人が自然な英語に接する機会がほんとうに少なかったからだ。

今は違う。そして、いろいろなものを英語で聞いたり読んだりすることがあたりまえにできる時代になって感じるのは、英語(外国語)の学習の要諦はつまるところ「語彙」なんだということである。

普通の日本語による知識と論理的思考力、そして普通の情操を備えた人にとって、文法・構文をマスターし音声をマスターしたあとの英語力を左右するのは、結局語彙力なんだということである。

そして、普通の日本人であるなら日本語は5万語前後の語彙力がある。この厳然たる事実を前にして、やれ5000語もあればよいとか、やれ1万4000語あれば98%理解できるとかいうような、なんとも不自然な議論はきっぱりやめにしたほうがよろしい。

なぜほとんどの人が5万語前後の語彙を蓄えているのか? 答えはただひとつ、「必要だから」でしょう。現代において普通に生活を営むためにはそれだけの語彙が必要だからでしょう。だいたいちょっと考えてみたらわかるでしょう。あなたは、小学生用の国語辞典にある語彙だけで今の社会を不自由なく生きることができますか? そんなことができるはずもない。

それが英語になると、俄然95%だの98%だのという議論がかまびすしくなってくる。2万語以上は不要だと言いかねない雰囲気もある。不思議なことである。日本語で明らかに不自由なことが英語では不自由ではなくなりますか? 日本語で5万語の語彙を必要とする人が英語になるととたんに小学生の語彙数でも不自由を感じなくなりますか? そんなことはあり得ない。

12歳にもなれば、『戦争と平和』を読む子だっている。そんな児童の語彙は既に大人のレヴェルに達している。小中学生の語彙でトルストイは読めない。

そんな事実をしっかり認識しておくのが大事。日本語は5万語必要だが英語は小学生の語彙で充分であるなどというインチキはインチキとしてしっかり認識しておくのが大事。

事実は事実としてずばり受け入れるのが自然でしょう。受け入れて、あとは語彙強化をするもしないもそれこそ各人の自由。

事実をふまえて大人の語彙力を獲得したらリスニングなど特に訓練する必要もない。聞こえてくる音は次々に情報として了解されてゆく。何の問題もない。本を読んでも日本語で読んでいるのと変わらない。

日本語と違って不自由だと感じるなら、それは、ただ、語彙が不足しているからに過ぎない

もちろん、音声がちゃんと備わった語彙である。文章を自然に音読できる語彙である

| | Comments (0) | TrackBack (0)

意味のない議論

ネイティヴ・スピーカーの認識語彙数に関する議論は切りがありません。

何を持って1語彙とするのかという定義がないからです。

だから、そんな議論を延々と続けても無意味です。語彙数を議論する時間があるなら1語でもよけいに覚えたほうが精神衛生上もよろしい

ただし、次の事実をしっかり把握しておく必要がある。

① 教養あるネイティヴ・スピーカーが理解できない雑誌・新聞・ペーパーバックなどはない。

② 雑誌・新聞・ペーパーバックなどで「上級学習英英辞典」に掲載されている以外の語彙を使用することはほとんどない。どうしてそんなことが言えるのかというと、代表的な「上級学習英英辞典」で、たとえば 『Oxford Advanced Learner's Dictionary』で、読み物のなかに出てくるあなたの未知語彙をチェックしてみたらすぐわかる。ほとんどすべての語彙が 『OALD』 でカヴァーされている。

③ ①と②から、教養あるネイティヴ・スピーカーなら「上級学習英英辞典」の語彙をほとんどすべて理解できることがわかる。

それは当然のことでもある。なぜなら、「上級学習英英辞典」は、雑誌・新聞・ペーパーバックなどの語彙を過不足なくカヴァーするよう設計されているからである。

④ それでも、たまに、教養あるネイティヴ・スピーカーでも分からない語彙が出現する。それは、日本語の雑誌・新聞・ペーパーバックなどについても同様である。そんな時、英語のネイティヴ・スピーカーなら学習英英辞典ではない普通の英英辞典その他で調べるし、日本人なら、たとえば『広辞苑』その他を使う。

以上4点をしっかり把握しておけば、「辞書の語彙を全部知っているなら辞書の存在価値はない(普通の辞書と学習辞書を混同した議論)」とか「ネイティヴ・スピーカーであっても上級学習英英辞典の語彙(見出し語5~8万・総語彙数15~20万)を全部知っているはずがない」とか「辞書など覚えたら必要でない語彙まで覚えなければならない(学習辞書に不要な語彙はない)」とかいう議論は無駄であることが分かります。

そして、ネイティヴ・スピーカーの語彙数を詮索する必要もまったくありません。教養あるネイティヴ・スピーカーなら 『OALD』 の語彙をほとんど理解できると思っていればいい。「上級学習英英辞典」の語彙は、そんなレヴェル=雑誌・新聞・ペーパーバックのレヴェルの語彙をすべてカヴァーすべく統計処理が施されているからです。

最後に、同じネイティヴ・スピーカーであっても、語彙レヴェルの個人差が驚くほど大きいことも事実です。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「アンチ・バベルの塔」完成につき、定期的なブログ執筆は停止します

私は、今日(2006年4月3日)に、ほぼ予定通り、「アンチ・バベルの塔」の暗記徹底作業を終了しました。

ただし、100%暗記しているわけではありません。90%ぐらいだろうと思います。

しかし、これで終了宣言することに何のためらいもありません。上出来です。

これからは、毎日1時間ぐらいの復習を続行しながら、今年(2006年)中には100%に到達する予定です。

もちろん、その後も復習を続けます。復習に要する時間は、おそらく、徐々に減少してゆくはずです。それでも、どれほど完璧に覚えても、毎日30分は復習に充てる予定です。時速4語彙で2年6ヶ月(5000時間)も費やして成った成果ですからもう絶対に失いたくありません。塔以前のように全部覚えたつもりで半年以上も放棄して半分以上忘れてしまいまた最初からやり直すというような愚行はもう繰り返しません。私は、従来から述べていますように、自分の記憶保持能力をまったく信頼していません。今まで何度も裏切られてきたからです。復習の価値は身にしみてよく分かっています

私は、外国語に関する限り、語彙強化とは 「①未知語の発見整理・暗記」と 「② 永遠の復習」だと断じています。そして、永遠の復習といっても、毎日30分程度なら日課にしている速歩の40分より短い。これで上級学習英英辞典の語彙水準が維持できるわけですから何の不満もありません。不満どころか、おおいに満足です。

そうしながら、存分に読書したい。そのための語彙強化だったのだから当然のことですが、実現してみればやっぱり感慨は深い!

されば、私の語彙強化に対する興味は既にピークを過ぎ、このブログで書きたかったことも既に大方書き尽くしました

だから、今までのように毎日ブログを書くことはやめることにしました。

また、書きかけて中途半端にしている記事及び新たな記事は、気が向いたときに書き込んでゆくつもりです。今までに書き散らした記事の整理も少しずつ進めるつもりです。

皆さんのほうで「アンチ・バベルの塔」やその他の語彙強化に関してどんなことでも疑問なり尋ねてみたいことなりがありましたら、どうぞ遠慮しないで書き込んでください。みなさん同士で議論してくださっても、もちろん、結構ですし、私も自分の意見が参考になるような場合はコメントさせていただきます。みなさんの語彙強化を少しでもヘルプできたらと願っていますのでどうぞお気軽に書き込んでください。

長期間「アンチ・バベルの塔」をお読みくださったみなさんに心から感謝しています。ほんとうにありがとうございました

これからも、よろしくお願いします。

Thank you.

k.y.

| | Comments (4) | TrackBack (0)

私が覚えにくかった語彙群(塔以前)―(5)

私が英語の語彙強化をつよく意識しだしたのはもう20年以上前のことです。

その当初から「塔」の完成に至るまで、覚えにくかった語彙を公開していきます。

その中には、同じ日本人として、皆さんの苦手の語彙も多々あると思います。

また、よく知っているつもりの語彙でも実は1部の意味・用法しか了解していない場合もあります。

そういう観点から、何か語彙強化の参考になればと思って公開することにしました。

64 alight

65 alimentary

66 allegiance

67 allegory

68 allude

69 allure

70 aloft

71 aloof

72 alumna

73 alumnus

74 ambidextrous

75 amble

76 ameliorate

77 amenable

78 amethyst

続く...

| | Comments (0) | TrackBack (0)

各自の語彙力について

私が「ネイティヴ・スピーカーの成人の語彙数は4~6万語である」という場合、それはあくまで標準的な成人の語彙数のことで、だれでもそのくらいの語彙を知っているというわけではありません。

「ネイティヴはそんなにほんとうに知っているのか!?」と疑問を呈する方がかなりおられる。

そんな人は日本人の日本語の語彙数を考えてみてください。大学生を例に取ると、その日本語の平均語彙数は5万語前後です。

しかし、誰もが5万語を知っているわけではありません。その幅は2万語から6万語に及びます。2万語に達しない場合もあります。

これは、英語のネイティヴ・スピーカーでもまったく同じです。従って、たまたま知り合いになったネイティヴ・スピーカーの語彙が非常に貧しいとしても、別に不思議な現象ではありません。

ただ、肝心な点は、普通の雑誌や小説やニュースを読んだり聴いたりしてちゃんと理解できるためには5万語ぐらいの語彙が必要だということです。蛇足ながら、普通の読み物やニュースは大多数の人が理解できる語彙レヴェルで書かれています。

他方、そんなものを読んだり聴いたりしない人も珍しくありません。そんな人なら2万語ぐらいの語彙数でもまったく問題はありません。日常生活に困ることはないからです。それ以上の語彙を蓄積する必要もない。

だから、5万語前後というレヴェルは、「誰もが納得する基準」ではなくて、普通のものを読んだり聴いたりして理解できる語彙数です。

見出し語が5~6万語の英和辞典で、和訳がほとんどすべて理解できたら、日本語の語彙もだいたい5~6万語だということです。和訳も頻繁に分からないとしたら、日本語の語彙が普通の水準に達していないということです。

もうひとつ、肝心なことは、語彙力と人間の価値の間に何の関係もないということです。これを誤解すると的外れな議論が始まる可能性があります。

5万語ぐらいの語彙は、日本語であろうと外国語であろうと、普通のものを読んだり聴いたりして理解するのに必要な語彙である」というのは、価値判断とは無関係の、ひとつの事実に過ぎません

各自の語彙力=各自の価値では決してありません。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« March 2006 | Main | May 2006 »