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英語学習・放談(1)

最近は、インターネットなどの発達で、ありとあらゆる英語に接することが可能になった。

従来は「生の英語」などという表現をよく見聞きした。

普通の人が自然な英語に接する機会がほんとうに少なかったからだ。

今は違う。そして、いろいろなものを英語で聞いたり読んだりすることがあたりまえにできる時代になって感じるのは、英語(外国語)の学習の要諦はつまるところ「語彙」なんだということである。

普通の日本語による知識と論理的思考力、そして普通の情操を備えた人にとって、文法・構文をマスターし音声をマスターしたあとの英語力を左右するのは、結局語彙力なんだということである。

そして、普通の日本人であるなら日本語は5万語前後の語彙力がある。この厳然たる事実を前にして、やれ5000語もあればよいとか、やれ1万4000語あれば98%理解できるとかいうような、なんとも不自然な議論はきっぱりやめにしたほうがよろしい。

なぜほとんどの人が5万語前後の語彙を蓄えているのか? 答えはただひとつ、「必要だから」でしょう。現代において普通に生活を営むためにはそれだけの語彙が必要だからでしょう。だいたいちょっと考えてみたらわかるでしょう。あなたは、小学生用の国語辞典にある語彙だけで今の社会を不自由なく生きることができますか? そんなことができるはずもない。

それが英語になると、俄然95%だの98%だのという議論がかまびすしくなってくる。2万語以上は不要だと言いかねない雰囲気もある。不思議なことである。日本語で明らかに不自由なことが英語では不自由ではなくなりますか? 日本語で5万語の語彙を必要とする人が英語になるととたんに小学生の語彙数でも不自由を感じなくなりますか? そんなことはあり得ない。

12歳にもなれば、『戦争と平和』を読む子だっている。そんな児童の語彙は既に大人のレヴェルに達している。小中学生の語彙でトルストイは読めない。

そんな事実をしっかり認識しておくのが大事。日本語は5万語必要だが英語は小学生の語彙で充分であるなどというインチキはインチキとしてしっかり認識しておくのが大事。

事実は事実としてずばり受け入れるのが自然でしょう。受け入れて、あとは語彙強化をするもしないもそれこそ各人の自由。

事実をふまえて大人の語彙力を獲得したらリスニングなど特に訓練する必要もない。聞こえてくる音は次々に情報として了解されてゆく。何の問題もない。本を読んでも日本語で読んでいるのと変わらない。

日本語と違って不自由だと感じるなら、それは、ただ、語彙が不足しているからに過ぎない

もちろん、音声がちゃんと備わった語彙である。文章を自然に音読できる語彙である

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